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小泉八雲の生涯ー後日談

小泉八雲(Lafcadio Hearn)の語ったことを日本人は現代に生かせるのか?

小泉八雲の風景の連載を終えこんなことも考えてみた。それは、防災ということです。

もともと自然災害に敏感だったハーンは、1894年10月27日には、当時論説委員として勤めていた神戸クロニクル紙に「地震と国民性」Earthquakes and National Character という論説記事を書いた。

「日本は自然災害が多発する国である。地震や津波、台風といった自然災害は後を絶たず毎年頻発する。日本および日本人の宿命ともいえる。

しかしその災害で日本人はー「禍福はあざなえる縄のごとし」とし、ー災害に備え「更新性」という文化的特色をつくったのではないか、伊勢神宮における遷宮という慣習もその象徴的なものと考えることができる」という論評をしている。私のように古代日本史から現代史にまでに関心を持つものは言いえて妙の実感だ。

それから 2 年後の 9 月、帝国大学から招聘されたハーンは東京に移るが、東京到着直後にニューヨークの友人ヘンドリックに次のような手紙を送っている。
 「ひどい天候―洪水、家屋の倒壊、溺死。一連の自然災害の到来は、この国の森林伐採のせいだと思います。私が神戸を離れる直前に、ふだんは乾いて砂地がみえている川が雨の後、堤が決壊し、川の水が町中を一掃しました。その結果、数百戸の家屋が破壊され、百人が溺死したのです。それから、東北地方の津波のことをご存知でしょう、―たった二百マイルの長さでしたが―約三万人の命が奪われました。東部・中部地方では今も相当の地域が川の氾濫で水に浸かっています。琵琶湖の水面が上昇し、大津の町は水浸しです」

水害での被災を述べた記事であるが阪神淡路大地震で大きな被害を受けた神戸の自然災害対策は近世以降あの大地震まで根本的対策のない脆弱性があったのではなかろうか。

 中でも上記書簡にある東北地方の津波には強い衝撃を受けている。それは1896年 6 月15日に三陸地方を襲い、約27,000人の犠牲者を出した明治三陸大津波で、ハーンはその後、まもなく
生き神」A Living God を執筆した。この作品は、1854(安政元)年12月に起こった安政南海地震の際に紀州広村の庄屋が、刈り入れたばかりの稲の束に火を放って村人に危険を知らせ、高台に避難させたという実話をもとにした物語だ。後に、中井常蔵氏によってリライトされた「稲むらの火」が国定教科書に採用されたことから一般に認知されるようになった。ハーンは作品を通して、津波の際にはとにかくすみやかに高台に避難すること、またその際に高い倫理観と勇気をそなえたリーダーが必要であることを説きたかったのではないか。もちろん「生き神」というタイトルには、生きている人間が神として祠に祀られることさえあり得るという、西洋人には理解の難しい日本人の神観念を説く意図も含まれている。
 この作品は、2005年に神戸で開催された国連防災世界会議の際に、子どもたちの防災教材として生かすべきだという議論があり、その後、内閣府の外郭団体として設置されたアジア防災センターがアジア各国の NGO と連携し、津波が起こりやすい地域の言語へ翻訳したテキストを出版し、読み聞かせ活動も行っている。現に、 2 度目のスマトラ沖地震の際には、その効果
が大きかったという。すでに、スペイン語、フランス語のほか、タガログ語、タイ語、マレーシア語、インドネシア語、ヒンディー語、ベンガル語、シンハラ語、ネパール語3 )などに翻訳
されている。
 また、東ヨーロッパの国、クロアチアのミルナ・ポコトワツ・エンドリゲッティさんは、バイオリニストとして演奏に来た日本でこの物語に出会い、感銘を受け、帰国後にクロアチア語訳を完成させ自費出版して子どもたちに配布したという。
 現代社会の中で、今後もハーンの「生き神」は、防災教材としての意義を持ち続けるだろう。
関西大学の学術記事によれば風土と国民性の関係を本格的に注目したのはハーンが恐らく初めてだろうとその功績を披露している。

しかしである、私は退職後地域の役員を務めた。その時市長との懇談会で市の防災の基本姿勢に対し質問した。

私の住まうこの地域は、人的にも物的にも大きな被害をうけ、村自体が全滅したという歴史を持つ。県、市の津波ハザードマップには沿岸部は最高4mの浸水予測とされていた。私の住む地域はほぼ内陸部の標高は6~7mです。私は地域内に住む年配者のうち一部の人を訪問し津波浸水に対する意識をうかがったことがある。

その時の多くの意見は大地震が発生しても避難しないという意見が多かった。理由は市で配布した浸水地域は4m以下の地域であるから私の家まで津波は来ないからとの意見と記憶している。

私は自治会の役員として自分が経験したことのない揺れを感じたら何はともあれ高台に避難するとし避難経路の安全性を今一度確認し、命だけはま守ろうと広報活動をしてきた効果があまりにもない現実にがくぜんとした。

それにはそれ相応の行政側の責任があるのは明らかだ。数十年来東海地方を明日にでも地震が襲うと大宣伝し、余り実効性のない避難訓練を毎年数回それも数十年間も動員され続けてきた。挙句の果て東海地震は予知できないととんでもない騒動協奏曲は終わったのです。この東海地震はプレートのずれを観測発見し3日前に予知宣言を発するものであったが、阪神淡路、東北大地震であれだけの被害を出しながら何らの予兆すら捕まえることができなかった。これに批判が起こったからである。予知研究や構造物に数百億円の浪費をした責任を誰も負わないのが日本人的な結末である。

話は前に戻るが650年前の10mを超す津波襲来に対しての科学的検証を行うよう希望する私の質問にも市側の見識は甘く、その他の具体的な質問、例えば海岸から延びる新設主要道が内陸方面に何本も作られているがそこを伝い津波が内陸部へ遡る危険はないのかの質問に対し現市長でもある市長は堤防があるから大丈夫といった。

人口構築物が想像外の大災害に効果がなかったのは、彼の東北大地震でのスーパー堤防決壊ですでに結果が出ている。

私が発言した趣旨は金ばかり使う防災ではなく市民の防災意識のあり方とか啓もうを原点に立ち返り検討しなおすことだった。近年ささやかれている駿河湾から南海地方、四国までの断層が連動して引き起こす地震で中京、東海を中心として30万人の死者が予想されているのです。このような大災害が発生したエリアすべての人がより安全な場所に速やかに避難する意識を共有しているかであろう。答えは否である。

小泉八雲が注意喚起をした論説や稲村の火は遠い過去の記憶として忘れられてしまっているだろう。彼がどのような人でどのような作品を書き世界にそれを紹介した事実を教養を積んだ若者の多くすら知らないという事実がそれを物語るのです。

ちなみに津波の言葉は、小雲八雲が「Tsunami」として世界に発信したことから世界語となった。



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