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琳派 2
琳派の絵師たちは、古典文学にモチーフを求めました。
なかでも、美の探求に応えるものとして、平安王朝文化(794-1185)の再現を希求しました。
作品には、四季の移り変わりが奏でる自然のリズムが表されています。技法に関しては、時代の流れとともに、さまざまなものがみられます。たとえば、琳派の絵師が水墨画の技法を応用して独自の方法に作り上げた「たらし込み」。これは、墨や絵の具をたっぷりと筆に含ませ、色を塗ってまだ乾かない面に垂らす手法です。垂れると、にじみによる浮遊感が出ます。
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中国行われた没骨法(もっこつほう)は、輪郭を描かず、初めから画面に形と色を同時にあらわすという技法で主に花鳥画で行われ、日本画では俵屋宗達がたらし込みの手法とともに使用した。
では、琳派の作家たちの出自、出身階層はといえば琳派の創始者である光悦も宗達も裕福な町衆の出自でした。
数世紀にわたってそれに続いた作家らは、いずれも恵まれた教育を受けているという点で共通しています。
光悦の家は、刀剣(国宝級の刀剣)の研磨・浄拭および鑑定の名家でした。光悦は刀剣にとどまらず、陶芸家でもあり、さらには17世紀初頭にあたる桃山時代末に「寛永の三筆」のひとりに数えられる能書家でもありました。
宗達は、俵屋という扇絵の工房を取り仕切っていました。宗達は光悦の従姉妹と婚姻を結び、ふたりは縁戚関係にありました。このふたりの作家が共作を重ねることにより、ふたりの出自に相応しい、洗練された優雅な嗜好が生まれることになったのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1653547442891-mpMNRgJfpb.jpg)
宗達の絵と文様ならびに光悦の書による和歌巻が制作されました。ふたりの作品は現在、重要文化財に指定されています。組み合わせたものという以上に、意匠と文字の間に交わされる、快い対話がそこには見られます。
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