加賀千代女
加賀千代女(かが の ちよじょ、1703年(元禄16年) - 1775年10月2日(安永4年9月8日))は、俳人。号は草風、法名は素園。千代、千代尼などとも呼ばれる。
朝顔を多く詠っていることから、出身地の現・白山市では市の花に選ばれている。
白山市では市民による朝顔の栽培が盛んで、毎年開かれる千代女あさがおまつりで花の出来映えが競われているという。白山市中町の聖興寺に、遺品などを納めた遺芳館がある。
白山市も私にとっては懐かしい場所だ。何よりも百名山「白山」の登山口であり、夏の暑い日、手取り川を越えて室堂経由で山頂に立った記憶が鮮明だ。
今回は、その思い出の地、加賀に生まれ育ったゆえに加賀の千代女といわれる女流俳人の紹介をしてみたい。
加賀千代女は江戸中期に活躍した女流俳人で、生涯で約1700余の句を残したといわれています。
朝顔に 釣瓶とられて もらひ水
この句は彼女の代表作として広く知られ、今も多くの人々に親しまれています。
この句に含まれている季語は「朝顔」で、季節は「秋」を表します。
朝顔は、夏のイメージが強く、夏を連想しますが、俳句では「秋」の季語です。
季語は旧暦の二十四節季をもとに分類されており、現代の新暦に置き換えると約1ヶ月の遅れが生じるからです。そのため朝顔が盛りを迎える8月は、旧暦では秋の始まりである「立秋」に区分され、初秋の花として詠まれてきたのです。
朝顔の蔓に井戸の釣瓶が巻き付かれてしまった。水を汲むために「つる」をちぎってしまうのは可哀想なので、隣の家に水をもらいにいったという情景をうたっています。
「釣瓶(つるべ)とは、井戸の水をくみ上げるために縄や竿をつけた桶のことです。水桶を引き上げるための縄か竹竿に朝顔の蔓が絡みついいたということです」
朝顔、今でこそ一般的な花ですがは奈良時代に遣唐使が薬草として中国から持ち帰ったといわれています。観賞用に栽培されるようになったのは、江戸時代に入ってからといわれる。
この句が作られた当時、朝顔は鑑賞花として普及し、庶民の日常生活に溶け込んでいたのでしょう。ゆえに朝顔は日常の生活を表すのに重要な季語として使われたのです。
上水道もない江戸時代においては、井戸から水を汲むことから一日が始まります。古来早朝からの水汲みは女性にとって朝餉のための大切な仕事でした。
この句は上記のように朝顔や水汲みといった何気ない日常風景を描いたもののように感じますが、背景には女性ならではの視点で、自然を思いやる心の美しさが詠みとれます。
「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」
物事の表現の一つに擬人法があります。
植物や動物、自然などに、それが人がしたことのように表す比喩表現が擬人法です。この句では朝顔を擬人化しており、「釣瓶をとられて」を「(朝顔に)釣瓶を取られてしまった」となります。
このように擬人法を取り入れることで朝顔に対する優しさがより伝わる女性らしい句になっています。
この句をもう一度吟味してみましょう。朝顔が美しく咲く時間帯は夜明け前のほの暗い頃です。
千代が食事の支度のため朝早くから水を汲もうとすると、釣瓶に朝顔の蔓が絡んでいました。健気に咲く朝顔を切ってしまう気にもなれず、「釣瓶をとられてしまったわ」と、隣家の井戸まで水を汲ませてもらいにいったのです。
毎日の朝の忙しい時間帯。少しも時間の余裕はありません。現在のように栓をひねれば水が出るわけもありません。
手桶に釣瓶の水を移し台所まで運ばねばなりません。手桶の水の重たさと初秋とはいえ夜明けの冷たさは女性にとって骨身にこたえたでしょう。
たかが朝顔のことまで思いやるのは難しいことでしょう。
しかし、思わず引きちぎるのをためらってしまうほど、その朝の朝顔の花は格別の美しさだったのです。
このように日本の俳句は日常のなにげない光景を切り取ります。
極くごく、さりげない日常生活の瞬間を切り取る中に人生の無情や風情を朝顔との出会いとして詠みこんでいるのです。この心情は彼女が後に出家したことからも窺えます。
「加賀千代女の生涯
加賀千代女(1703年-1775年)は、現在の石川県の南部に位置する白山市で、表具師福増屋六兵衛の娘として生まれました。
一般庶民にもかかわらず幼い頃から俳諧に親しんでおり、12歳の頃に奉公先で俳諧を学ぶための弟子となります。その後16歳の頃には、才能を認められ女流俳人としての頭角をあらわしていきました。
通説では、18歳の頃金沢藩の足軽福岡家に嫁ぐも、20歳で夫と死別し実家に帰ったと伝えられていますが、文献的には未婚であったと記されたものが多く、結婚したかどうかは説がわかれています。
52歳の頃には剃髪し、以降は素園と号しています。
73歳という当時としては長寿の末亡くなりますが、そのとき
「月も見て 我はこの世を かしく哉」の辞世を残しています。
「かしく」は女性が手紙の最後に書く結びの挨拶で今の「さようなら」にあたります。
美しい月も見られた この世に思い残すことはない みなさま さようなら・・・
作風は通俗的ですが、私のような素人俳人には、人生の最後にあたり俳人でもなく、出家者でもなく、ただ一人の女性としての思いやりや感謝に溢れたものとして受け止めました。この謙虚さ優しさが今日まで多くの人に愛される所以なのでしょう。
加賀千代女のそのほかの俳句 出典:Wikipedia)
「月も見て 我はこの世を かしく哉」
「何着ても うつくしうなる 月見かな」
「夕顔や 女子の肌の 見ゆる時」
「紅さいた 口もわするる しみづかな」
「落ち鮎や 日に日に水の おそろしき」
「初雁や ならべて聞くは 惜しいこと」
「行春の 尾やそのままに かきつばた」
「川ばかり 闇はながれて 蛍かな」
「百なりや 蔓一すじの 心より」
「蝶々や 何を夢見て 羽づかひ」
「ころぶ人を 笑ふてころぶ 雪見哉」
「髪を結う 手の隙あけて 炬燵かな」
「月もみて 我はこの世を かしく哉」
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