北方領土
ロシアの国際法に抵触する強権によるウクライナ侵攻が世界の反発を呼ぶ。昔からヨーロッパの田舎者と蔑すまされてきたロシアの本質の表れであろう。
日ロ戦争以前、ロシアは不凍港を求め極東を南下し中国には利権を強要をし、朝鮮半島にも干渉し続けた。極東全域の覇権をうかがう態度に不安を感じた日本はロシアに宣戦布告をした。
アジアのイエローモンキーと皇帝自身も日本を侮った結果、慢心したロシアは陸戦海戦で思わぬ不覚を取ったのは周知の事実。短期で首都キエフを陥落させるとの当初のロシアの戦略はウクライナの思わずの反撃の結果、対日戦再現のように失敗したのだろう。
対日戦敗北の後、革命により政治体制が変わりソ連となったこの国は、いつしか日本に仕返しをと思い続けたであろう。
しかし、スターリンを始めとする共産党指導者達はツアーリズム以上の圧政と非民主的な強権国家ソ連を成立させた。シベリア出兵、ヒトラー侵攻と言った西欧諸国の侵攻を許した反省もあり被害者意識過剰な国家となったのだろう。
日本との間で中立条約(相互不可侵条約)を締結していたソ連は、日本の敗色が濃厚になり弱体化した1945年(昭和20年)条約を一方的に破棄し、満州や千島列島へと攻め込んだ。
挙句、国際法を無視し60万人以上の日本人をシベリアへ強制連行した。そのために多数の日本人が極寒の地で命を落とした。
千島列島では、第二次大戦末期、ソ連軍は1945年8月9日後国後島、色丹島に達し、9月3日には歯舞群島および、9月5日までにことごとく占領した。 なお、9月2日には、東京湾上の戦艦「ミズーリ」甲板で、ソ連代表も参加して降伏文書の調印式が行われた。
ポツダム宣言を受諾した8月15日ではなく、調印式の日が日本の降伏日とする説もありソ連の侵攻は国際法に違反しないとの説もあるが条約は未だ有効と信じていた日本人には到底納得は出来ないだろう。
翌1946年(昭和21年)2月2日、ソ連は「南サハリン州の設置に関するソ連邦最高会議幹部会令」を発し、北方四島を自国領に編入してしまった。
クルミヤ半島強制編入、今回のウクライナ領土強奪は国名は変わってもその侵略性や18世紀的政治指向を世界は認めたであろう。
核戦争の脅威のある現代では武力による領土争奪は不可能である。であるからこそ日本は今後100年でも200年でも武力によらずロシアの不当性を世界に向けて主張せねばならない。その根拠が明治8年(1875)日本とロシアとの間で調印された国境確定の条約、千島樺太(サハリン)交換条約なのだ。
近年低姿勢でロシアのプーチンの機嫌ををうかがった外交も破綻した。ロシアの周辺国に対する「やらずぶったくり外交」もクロアチア侵攻で明るみに出て世界が認めた今こそ北方領土問題を世界世論に訴え続けなければならないのだ。