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二粒の飴 山本周五郎

今夜は元アナウンサー・古沢久美子さんの朗読で山本周五郎作の二粒の飴を夜半に聞いた。

武士道は、封建時代の武家の生き方の基準であり、いかに死ぬべきかがその生き方の規範となる。

その規範は本人のみではなく内を仕切る妻女にとっても価値判断のすべてであることを問うた作品であった。

元アナウンサーというだけあって古沢さんの朗読はきれいな声と共に流れるような言葉が鮮明で他を寄せ付けないであろう。

武士道とは、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理道徳の規範及び価値基準の根本をなす。
体系化された思想一般をさしますが広義には日本独自の全般的な常識考え方を指すものです。

「武士本人が独りよがりであってはならない」との考えで、次第に、家族民衆に対してもその普遍を価値観として半ば強制的に広めた。当の武士は命をかけて組織へ殉ずることが美化されるにいった。二粒の飴はそんな社会の規範を描いた物語である。

その物語のダイジェストです。娘が嫁に行く日に、貞代は二粒の飴を手渡す。そうして貞代が語り出したのは、彼女の母との物語だった。武家の母として子を育てる覚悟とは如何に。

・・・貞代の家は重松という武家の家であり、父・重松伊十郎は若くして、同役数名の責を負って切腹し、重松の家は追放の処分を受けていた。

まだ貞代と弟の亀之助が幼い頃のことだった。母は祖父の家に身を寄せることを断り、二人を連れて江戸へ上った。

貧しい長屋を借りた貞世の母は二人に対して、武士の心を忘れぬようにと常々言って聞かせた。
「こういう裏町に住んでも、悪い遊びやぶしつけな言葉には馴れないよう、亡くなった父上の子として恥ずかしくない、正しい人間にならなければいけない」口癖のように語っていた。

母は朝早から、夜の遅くまで賃仕事をしていた。冬は自身が凍えるのもかまわず、夏はうだるような暑さに耐えて懸命に働いた。
自身は食べられずとも、貞代と亀之助には食べさせ、自身は白湯を啜っていた。
だが、無理のたたった生活は母の命をむしばんでいた。

母の亡くなる前夜のこと、貞代と亀之助は母から二粒の飴を渡され、「おあがりなさい」と言われた。貞代はそこで厳しかった母の想いの真相に触れるのだ。

「艱難に鍛えられなければものの役に立つ人間には成れない。
甘く育てては武家の家族として世の指弾を受ける。何よりもそれは、人間として堕落させてしまうのです。

「母親が誰しも持っている心の飴を、そのとき母さまは棄てたのす。無いなかから子に飴を求めてやることはやさしい。けれど手にある飴を「遣らずにおく」ということはもっと難しいのですよ」と。

一度読むなりYoutubeの朗読を聞いてください。

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