世阿弥その美意識
能楽師世阿弥の美意識は、「幽玄」という概念で表現されています。幽玄 とは、 奥深くて計り知れないこと、趣が深く味わいが尽きないことを概念として表わします。具体的には、音曲、楽曲の美しさ、美しく静かに舞う姿などの背後に感じる神秘性を幽玄といったらいいのだろう。
ご存知の方も多いと思うが、業平の伊勢物語の「八橋」に題材を取った「か・き・つ・ば・た」の頭文字を取った歌、
唐ころも 着つつ馴れにし 妻しあれば 遥々来ぬる 旅をしぞ思うの功徳に由って、非情の草木も成仏出来ると云う「杜若の精」がシテと為る、仏教思想に基づく世阿弥の名作である。世阿弥がそれを能のブランドイメージとして確立した。
世阿弥の良く使う言葉に花がある。花とは何なのであろう。世阿弥は、花を人に例える。7〜8歳の子どもの表情にある自然な美しさを花の原型としました。
その花のつぼみが徐々にほころび始め、花が咲き誇り、最後には散る。 老齢期に入り、それでもなお美しいものが残るなら、それが「まことの花」だというのです。
花自体常に同じではなく変化するものであり、この花こそ能楽の一回性の価値である。
花に必要なものは幽玄と興趣(楽しく愉快に感じること、おもしろみ)であるとした世阿弥は、能を他の芸能とは異なる世界として価値付けました。
能の美は、謡、舞、楽器の演奏、豪華な衣装などの各要素の「美」を結集したところに生まれるものですが、世阿弥は、能楽論(演劇論)や芸位・芸風論、音曲論、演出論など、数多くの書物を書き残しています。
世阿弥の著した『風姿花伝』は、能を哲学書風に書き下ろした画期的な書である。
世阿弥の思想の基底には日本天台宗最澄の唱えた「山川草木悉皆成仏」があるといわれる。
心がないとされる草木や国土、日本人は心のない草や国土にもすべてのものが成仏できる心、仏性があると考えた。「草木国土悉皆成仏」思想は、インド仏教や中国仏教にはみられない日本固有の思想です。そんな日本人に固有な思想も世阿弥は夢幻能として自分の作風とした。
世阿弥はあらゆるものを幽玄に演じることを追及した。「幽玄」とは、美しく柔和な趣きや、静寂で枯淡な風情のことをいいます。 世阿弥の確立したそのスタイルは「夢幻能(むげんのう)」とも呼ばれる独創的なもので、現在の能の原型となりました。
当時の芸能は物真似を重視したものである。世阿弥それらを幽玄を重視したものへ変化させたことだ。
これら芸術論を書いた世阿弥が30代後半から20年の歳月を費やして書いた秘伝書が『風姿花伝』、略して『花伝』『花伝書』とも呼ばれる。
何故世阿弥の書いたものが、芸能論を超え哲学書、現代に影響を与えるビジネス戦略論とも評価される所以に触れてみよう。
先に触れた『花』は、美、魅力、面白さなどの奥深さにせまる意味があるが、京都を長い間戦乱にまきこんだ応仁の乱の時代に書かれた風姿花伝書が、日本人の耳目を集めるようになったのは明治42年吉田東吾が学会で発表をしてからで、当時その存在すら知られていなかった。(ここに書かれた多くのものはWebから転載した。)
秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず
風姿花伝の一説に書かれた有名な言葉です。世阿弥は「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり。」とも書いており、花、おもしろさ、めずらしさは同じことで、花は散るからこそ咲いたときに珍しさを感じる、ということを言っています。
目に見えない感じない秘事も隠しているからこそ目に見え感じた時、感動を呼ぶことができるのだ。
予め期待させていたのでは感動を呼ぶことは出来ない。
秘密は観客に知られないようにすればこそ観客に感動を与えることが出来るとした。此等は、まさしく日本人の美意識「不足 の美」そのものであろゔ。
初心忘るべからず
『花鏡(かきょう)』に書かれた言葉です。世阿弥の名言の中でも、最も広く知られている言葉だ。
『花鏡』を読み進めていくと、こう書いてあります。
この句、三箇条の口伝あり。
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず
世阿弥は、“初心”をこのように3つに分けています。
「是非の初心忘るべからず」は、これは、まだ未熟だった頃の芸を忘れず、成長した今の実力を正しく認識し向上させることが大切だと述べています。
「時々の初心」は、初心者から老年まで修行する中で、それぞれの時期における初心の段階を忘れるべきではないということです。
そして「老後の初心」とは、年を取ったからと言って終わりではない、老年になってからも初めての事があるのでやはり初心を持って芸を極めるべきと戒めます。
稽古は強かれ、情識はなかれ
『「風姿花伝」「序」』の一節です。「稽古は厳しい心でしっかり行わなくてはならない。慢心による凝り固まった心があってはならない」という意味です。「情識」は普段あまり目にしない言葉ですが、もともと禅でよく使われる言葉で「凝り固まったかたくなな心」のことです。
時に用ゆるをもて花と知るべし
『風姿花伝』の一節で、その時々に役に立つものが花であるという意味です。「花」というのは、美しさ、魅力、面白さなど複合的な概念を指しており、観客の好みや状況を考慮してふさわしい芸を観せることが大切であると言っています。
世阿弥についてのまとめ
世阿弥(ぜあみ)は室町初期の能役者・能作者です。
世阿弥は父、観阿弥とともに将軍足利義満の庇護を受け、能を大成させました。
足利義満の死後は冷遇を受け、義教によって佐渡に流され生涯を終えています。
世阿弥は「高砂」をはじめ50を超える謡曲を残しています。
「風姿花伝」は世阿弥の遺した能楽の理論書です。1909年(明治42年)に吉田東伍が学会に発表して多くの人に読まれるようになりました。
世阿弥は書の中で数々の名言を残しています。現在でもよく使われる「初心忘るべからず」も元々は世阿弥の言葉で現代に通用する代表的なものでしょう。