ネットで話題の「おしりたんてい」問題から見る、《子ども向け作品のあるべき姿》
(このnoteは以前アメブロで私本人が書いたものを、note用に推敲、一部加筆修正したものです)
・今話題の「おしりたんてい」のツイートについて
みなさん、このツイートをご存知だろうか。
これは今Twitter上で話題となっている、「おしりたんてい」の新刊についてのツイートだ。
おしりたんていの新刊が急にエグい描写や今までのイメージとかけ離れた作品性に変化し話題となっている。
私はおしりたんていはアニメをたまに見るくらいで元の絵本もこの新刊も読んでいないから、あまり批判はできないが、まぁもしこの内容が本当ならこのレビューは仕方ない気もする。
だが私が今回、本当に話題として取り上げたいのはその引用でバズっていたこのツイート
私はこの意見にはかなり否定的だ。
といっても全て違うと思っている訳ではなく、『アンパンマン』や『しまじろう』が人気シリーズとして続いてるのは、親からの信頼があるからということは本当にその通りだと思うし、
子供向けの番組で大人向けの要素ばかりを詰め込み過ぎるのは良くないというのもそうではあると思う。
ただ
「ガキ向けとして生まれたなら、ガキ向けとして生き続けな」
に関しては断固として反対の立場だ。
そもそも「ガキ向け」という舐め腐った言い回しが好かないのはおいとくとして、
敢えて従来のターゲットとは全く違う層を取り入れ成功し進化を遂げた作品群を多く知っている。
それにこのツイートみた子ども向け作品を作っている制作側が萎縮して欲しくないという思いもある。
では、なんで今回の「おしりたんてい」は炎上したのか、他の大人向けに舵を切った子ども向け作品はなぜ成功を納めることができたのか。
この「おしりたんてい」の話題を通して今回は
子ども向け作品のあるべき姿
に迫っていこうと思う。
①隠し味か、メインか。
まず最初に例として挙げたいのはこのシリーズである。
今も昔も子供から大人まで幅広い層に愛される大人気シリーズ。
ゲームは現在、本編がスカーレット・バイオレットまで存在し、アニメやトレーディングカード、アプリに食品やぬいぐるみまで、多岐にわたって展開と進化を続ける日本が誇るバケモノ、いやモンスターコンテンツと言っていい。
親たちから安心して見られる作品の代表格に挙げられるポケモンだが、実はオタク向けや大人向けの展開、そしてグロいネタや下ネタをやったりしているのである。
その中でも最初に取り上げるのはコレ
大人気漫画シリーズ、ポケットモンスターSPECIAL
通称ポケスペ。
ポケモンの漫画作品は多々あるが、これはその中でも特に人気の作品であり、そして高年齢層向けにかなり振り切った作品だ。
というのもこの作品
「ポケモンも人間もものっそい死ぬ」
のである。
というかかなり惨い死に方するやつもいる。
初期の場面からあるポケモンが真っ二つに切断され、息絶える描写があるのだ。もちろん断面図がはっきり見え、中の骨と肉が見えるのでかなり生々しい。
氷漬けでバラバラになるポケモンだっているし、
とある地方の話になると、登場する人間キャラの多数が行方不明や死亡となったりもする。
しかし、この作品はポケモンを愛するもの達から愛され続け、長期に渡って連載が続く大人気作品となっているのだ。
そしてゲーム本編ですら、
実はポケモンは大人でもゾッとしてしまうようなホラーネタをやっている。
ポケモンシリーズに触れたことがある方なら、ポケモン都市伝説の動画や怖い噂を聞いたことがある人も多いのでは無いだろうか。
公式が特集している記事を載せておくが、正直これだけでも怖がりな私はちょっとゾクッとする。
そして下ネタも結構出てくる。
よく言われる金の玉おじさんが代表的だが、
ベッドのしたに「大人のおねえさんの本」が隠されている描写もあるし、極めつけはBWの観覧車イベント。あれはどう考えてもそういう風に誘導している。
気になる人は「ポケモン BW 観覧車」とかで調べて欲しい。
さて、これらが受け容れられてきたのには大きく分けて2つの理由があると思う。2つ目の理由は後で語るとして、ここではその内の一つのみ語らせていただく。
その一つが
「隠されていること」
だ。
まずゲーム本編の方から語るが、
先程のホラーイベントも下ネタイベントや台詞も、シオンタウンを除いてはほぼ本筋とは関係ないサブの要素だし、
発生するポイントやタイミングを注意していなければ気づかないで終わる人も多いくらいだ。
観覧車のイベントも意味がわかる人が見ればこれは下ネタだとハッキリ分かるが、そうでない子供はなんか観覧車に乗るだけの謎イベントとしか思わず気にもとめないだろう。
唯一本筋に組み込まれているシオンタウンに関してはホラーというより、切なさや悲しさの方が強いイベントなのもあると思う。
そして何より重要なのが媒体だ。
ポケットモンスターがこういったネタを仕込み続けて受け容れられてきたのは、ポケモンがある程度親の目を掻い潜りやすい媒体であるのも大きな要因である。
ポケモンはそもそも本編シリーズにおいてはSwitch発売まで一度も据え置き機で登場したことが無かった。
ほぼ携帯機専用のゲームである。
なので中身を無理に覗き込まない限りは確認されないし、漫画だって、中々親が子供の買った漫画の内容をチェックするなんて事は滅多にない。
漫画は絵本や小説と違って読み聞かせないからだ。
絵本は一緒に読んで読み聞かせるが、漫画でそれをやると
「ギュイーン!キキキキキーー!!」
「喰らえ必殺技!シュインシュインピチューン!」「スパッ!ドグシャァ!!!ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」
うん、やかましくて仕方が無い。内容が入ってこない。
親は普段目に付くところで見えるアニメ、カード、グッズを見て
「うーん。これなら安心!見せてヨシ(๑•̀ㅂ•́)و✧」
となるし、
逆に子供たちは親に隠れて実は大人や高年齢層に向けた要素も多いゲームを楽しむことで、
「ちょっと背伸びした気分を味わえる」。
そして本当の大人は大人向けの要素にニヤニヤしながら
「やっぱポケモンなんだよなぁ……」
とか言いながら大人向けの要素にニヤニヤしながら厳選してランクマッチ潜ったり、可愛い女の子キャラのSRカードを飾ったりする。
最近では「ポケマス」という明らかにトレーナー萌えのファンをターゲットにしたようなオタク向けのゲームもあるが、これはスマホ用アプリとしての展開で、逆に子供はあまり触れないようになっている。
それに万が一触れたとしても、エロい描写などは無いため安心できるだろう。
ポケモンのヒットはまさしくこの
「大人向け、ヲタク向け、子供向け」を媒体ごとに使い分ける巧みさにあるのではないだろうか。
ポケモンはオタク受けや大人向けを詰め込んでいないわけでは全くない。
ポケモンは「隠す」のが上手いのだ。
②棲み分けの大切さ
ここから話題に挙げるのは現在もシリーズが続く石ノ森章太郎原作のヒーロー作品、
『仮面ライダー』
なのだが語る前に先に念頭に置いておいて欲しいことがある。
まず仮面ライダーは始まりから少し高年齢層向けなので、他の子ども向け作品とは立ち位置もほんの少し異なること。
そして今回例で挙げる作品の中には、当時の親御さんたちの間で少し物議を醸した作品も含まれること。
「物議を醸しはしたものの、その上で最終的に受け容れられた。受け容れられたから今もシリーズが続いている」
という私の解釈の元、話を進めていくこと。
これを理解した上でここからの話は読んでいただきたい。
さて、先程言った『ポケットモンスター』とは違い、
『仮面ライダー』は親と子供が一緒になって見るテレビ番組がメインのシリーズだ。
最初から高年齢層向けの要素の多いシリーズとはいえ、ポケモンのように要素を隠すことが難しいこの作品においてヲタクや大人の受けを狙うのは至難の業だろう。
しかし、仮面ライダーは様々な挑戦を続け、今日まで進化し続けることができた。
それはなぜか?
ズバリある2つの「棲み分け」が出来ていたからである。
棲み分けその①
まず1つ目は「世界観やキャラクター」の棲み分けだ。
仮面ライダーが進化を続けた理由の一つに
「作品ごとにキャラクターや世界観や設定が変化する」
ことが挙げられる。
そもそも初代仮面ライダーは、ショッカーに改造されたバッタの改造人間その後、自由と平和のため、悪のショッカーに立ち向かった作品だ。
では今の仮面ライダーはどうだろうか。たまに映画や外伝作品でショッカーが出てきたりもするが、基本的にショッカーは出ない。
というか仮面ライダーだって改造人間ではない。
作品によってはバイクに乗らないし、ベルトで変身しないやつも居るし、そもそも仮面ライダー同士が殺し合う作品すらある。
作品によって世界観も設定もバラバラ、
「お前たちのシリーズって醜くないか?」
と思ってしまうかもしれない。
しかし、ソレが出来たのは仮面ライダーという作品が一つ一つ独立した世界観や作品だったお陰である。
そもそも初代の第一作の中でも世界観こそ変わらないとはいえ、主人公が交代したり、敵組織がショッカーからゲルショッカーになった。
その後も昭和の時点で、アマゾンで育った野生児や、惑星開発用の改造人間、世紀王ブラックサンなど、改造人間とバイクに乗るという要素は残しつつ進化を続けた。
そして
「仮面ライダー同士が殺し合う作品」
「仮面ライダーが探偵として怪人の起こす街の事件を解決する作品」
「仮面ライダーのシステムが戦争の兵器として扱われる作品」
などといったより挑戦的な作品が生まれていくことになる。
そういうことができたのは、仮面ライダーの一個一個が全く別の作品として作られていたからだ。
例えばこれが「アンパンマン」ならどうだろう?
アンパンマンでシリーズの途中で、
「〇〇マン同士が自分の願いの為に殺し合う」
「アンパンマンが怪人の起こす街の事件を探偵のように解決していく」
「アンパンマンが戦争の兵器として扱われる」
なんてことをしたら炎上どころの話では無い。
それはアンパンマンが一つの世界観で展開していくタイプのシリーズだからだ。
アンパンマンはアンパンマンという一つの番組としてずっと続いていて、変わらないキャラクター、変わらない世界観、普遍的なメッセージ性が多くの人に受け愛された作品。
仮面ライダーは、作品ごとに区切りをつけ、一つ変わるごとに全てがガラッと変わる。
そうすることで時代やその時ターゲットに据える相手を変化させ、常に進化し続けることを選んだ作品。
魅力や売り方が全く違うのだ。
誤解のないように言っておくが、これはアンパンマンも仮面ライダーもそれぞれ違った魅せ方をする、違った魅力を持った素晴らしい作品だと言うことだ。
同じニチアサのプリキュアやスーパー戦隊シリーズも仮面ライダーと同じ後者に当たるだろう。
そして今回話題になっていた「おしりたんてい」はおそらく前者だったのだと思う。
大人だって、大好きなラブコメ漫画が突然ホラー漫画になったら怒るだろう。大好きな漫画やアニメのキャラや世界観が突然改変されたら怒るだろう。
子供だって自分の好きなものが突然別物に変わったら怒る。
でも最初から別な作品と言われてしまえば、
「世界観もキャラクターも今までのものとは何も関係ないよ」
と言われてしまえば、そういうものかと受け容れるはずだ。
アンパンマンだって、主人公をタピオカパンマンにして、世界観を全く別の世界ということにしてしまえば、普段のアンパンマンではできない挑戦が可能になるかもしれないのだ(そんなことをするメリットはアンパンマンに無いと思うけど)
前述のポケスペのもう一つの理由もそれだ。アレが受け入れられているのも、アニメやゲームとは別な世界観だと見る側がハッキリ理解しているからだと思う。
そして先程話した通り「棲み分け」にはあと一つ重要な要素が存在する。
棲み分けその②
それこそが
「対象の棲み分け」
である。
これも前述のポケットモンスターの話に少し被る所があるが、それ含めて解説していく。
ここで具体的に仮面ライダーシリーズがやってきた「挑戦」の一部を見ていきたいと思う。
うーん、凄い。グロ描写はともかく、ホラーやエロまでやっちゃってるし、なんかBLもあるっぽい。なんで?
こんなこと、子ども向けのヒーロー作品のシリーズでやって良いのだろうか?
しかし、この表、実は隠している情報があるのだ。
こちらの表をご覧いただこう。
この赤マルはなんだろうか。
実は子ども向けのTVシリーズ、あるいは子どもも対象の映画でやったことはこれだけ。
(バッドエンド、ビターエンドについてはとある作品のラストが「メリーバッドエンド」という言われ方をすることが多い為、バッドエンドも含めました)
赤マルがついていないのはみーんな、オリジナルビデオや高年齢層向けの映画、配信限定作品でやったもの。
イマドキな言葉で言えば"ゾーニング"なのだろうか?それをしっかりやっていることが分かる。
赤マルの部分だけ見れば子ども向けでやったとしても納得がいく。
多少の流血表現や死の描写なんて少年マンガでもよく見るし、バッドエンドやビターエンドだって、そういう所から何かを学ぶというのは子どもにとっても良いことだ。
(平成のアレはネタで書いたので無視して良いです)
そう、最初から訴求対象がいつものものとは違うと一瞬で分かれば、
親は「こんなの子どもに見せられない」って怒ることは決して無いのだ。
『仮面ライダーアマゾンズ』を例に挙げよう。
アマゾンズは昭和のライダー作品
『仮面ライダーアマゾン』
のリブートでありながら、
「見てて気持ち悪くなるレベルのグロ描写」
「心がもう息苦しい鬱展開」
「人肉食の描写」
などが盛り込まれた作品。
しかしながら熱烈なファンも多く、ヲタクの間でも高い評価を受けている。
そうなれたのは、
大元の『仮面ライダーアマゾン』とは全く違う別物の作品であるということ、
ビジュアルや宣伝動画の時点で親も子どもも理解したから。
「これはいつも観てる仮面ライダーとは違う、大人向けの作品なんだ」
と理解できたからこそ。
それが提示できさえすれば、ヲタク受けを狙おうが、対象年齢をどれだけ上げようが、全く持って問題はないのだ。
ポケットモンスターは対象年齢の違いを
「隠す」という方法でケアしたが、
仮面ライダーは逆にそれを
「分からせる」という方法でケアしたのだ。
③最後に
私はこれからも子ども向けの作品にはどんどん色々な挑戦をしてほしいし、
もっと言えば
「親が安心して見られる」
を第一にした作品作りはして欲しくないと思っている。
それは決して子どもを不用意に怖がらせてやれとか、そういう話では無い。寧ろ逆だ。
子どもやその作品を一番に愛してくれる人の方を向いて作って欲しいということだ。
「親が見せたくなる作品」じゃなく「子どもが自ら進んで見たくなる作品」を作って欲しいということだ。
「親が見せたくなる」にこだわり過ぎれば、
きっと子ども向け作品はどんどん説教的でつまらなくなり、作品ごとの個性や変化も消えていき、子どももいずれ同じようなものばかりで飽きてしまうだろう。
そうではなく
時には思いっきり
「子供が好きそうなギャグ」に振り切ったり、
時には思いっきり
「子どもが背伸びした気分になれるような、大人でも少し怖くなってしまうような内容や描写」
にしたり、
時代やその作品の対象とする層に合わせた変化を続けてほしい。
そして場合によってはターゲットの層に子ども以外の層を含めたマーケティングをすることも、また一つの挑戦なんだと思う。
その大人向け、ヲタク向けの要素が逆に子どもの心を刺激することもきっとあるはずだ。
シリーズの繁栄に繋がることもあるはずだ。
結論として、私は
「子ども向け作品にあるべき姿など無い」
と思う。
でも、無いからこそ、子ども向け作品はこれからも、進化し続けることが出来るんだと思う。
これからも制作陣には、
そのシリーズとして出来るギリギリ、
するべき棲み分けを見極めながら、
素晴らしい作品を追求していってほしいと強く願う。