2019.12.08 金沢旅行記2日目
朝起きる。腹は痛くない。
朝食は昨日の帰りに買ったサンドイッチで軽く済ませ、チェックアウトした。まだ腹は痛くない。
着物の着付けに行く。妻の提案で着物で金沢散策をしようとなった。僕は寒そうな波平さんみたいになった。
駅からバスに乗り、まずグリルオーツカに向かった。
店先には10組ほどの行列ができていた。妻は秘密のケンミンショーを観てどーしてもここのハントンライスを食べたかったそうだ。ハントンライスの概要をWikipediaから引用する。
ケチャップで味付けしたバターライスの上に、半熟の薄焼き卵と白身魚のフライを乗せ、タルタルソースをかける。一見するとオープンオムライスのようである。
元々は、カレイ目の魚である「オヒョウ」を使った白身魚フライが乗っていたが、1976年に「ジャーマンあき」が初めてエビフライを乗せて販売した。
店の回転率はよく20分ほどで店に入れた。店内では6人がけテーブルに2人組の女性たちと相席になり、全員がハントンライスの小を頼んだ。女性3人は適正な量のため、僕は自分の腹の調子にビビったためだ。
やがて上記のWikipediaの説明文そのもののようなハントンライスが運ばれてきた。半熟の卵の上には魚とエビのフライがのっており、ケチャップとタルタルソースのコントラストが美しい。口に含むとソースの酸味が卵のまろやかさに包まれて、ケチャップライスの郷愁が香りたつ中に、舌の上の喜びに相まって、我が腹部の復活をかんじた。
そのあと歩いて21世紀現代美術館に行ったが、チケット購入に長蛇の列となっており、着物の返却の時間もあるので、今回は断念した。
そのあとすぐ近くにある兼六園に行った。
木々と水と通路の配置が素晴らしかった。日が差し込む角度と小さな橋に反射して写るカエデの赤い葉、丘を超えた先にある眺望台と、振り返ったときの差。木々は雪対策のため雪吊が施してあった。
制作における指針となりうるビジョンなり青写真なりは、個々の制作者が有している内蔵物というよりも、制作者を魅了する危険なものと考えている。なので制作者はそのビジョンの指し示す先に従ってあれこれと手順を整理したり欠けているものを補ったりする。そこに己の意思は主たるものではなく、引力に引かれる惑星の、公転軌道上を自転しながら周回する運動のように、たまに衛星を引っ掛けたりするかもしれないが、どこまで自身を手放し自身の声に耳をすますことができるかにかかっている。そうしたところで何か為すことができる保証なんてない、ただそうするしかない。そんなことを考えてた。
兼六園側の施設では金箔貼りの体験もした。お菓子を載せるような小さな器なんかあったら良いねと妻と話しながら作業していたが、金の定着に1ヶ月かかるそうだ。出番は正月以降まで持ち越しとなる。
またバスに乗り、東茶屋街へ向かった。夕暮れ時の路地裏は色気があり、風呂上がりの浴衣のように空気は吸い付いた。
小腹も空いていたので、お茶屋に寄って白玉麩のぜんざいを頂いた。普通の白玉よりもさよならの早いやつだった。
通りは同じように着物を着ている人が多かった気がする。石畳みの筋のあり方から日が暮れて輪郭の明瞭になる月に至るまで、この場に即したものが、それをそこにおくことの奇跡みたいなものを考えた。
バスで移動して着物を返却する。スニーカーになった瞬間足が軽くなる。
金沢駅でお土産を買った。会社の人には仕事でよく一緒になる人だけに、正月に実家に帰るときの酒と珍味を買った。
そのあと特急能登かがり火にのり、和倉温泉へ向かう。宿についてすぐ夕飯にした。地酒5種飲み比べを注文した。明日が月曜とは思えない。
今回初めてメガネをかけたまま温泉に入った。よく見える露天風呂は新鮮だった。見えたところで夜なので真っ暗だったが。
腹の調子が良くなると文章も落ち着く。
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