見出し画像

幸せになるために..... ?


◆ 僕は自分が幸せかどうかを知らない

僕自身は、自分を幸せだとは思っていません。
だからと言って不幸だとも思っていません。
強いて言うなら、人生の最期の瞬間に人生を振り返った時に
「幸せな人生だったと思えるように生きる」
それだけです。

もちろん、こんな考え方を誰かに押し付ける気もありませんし、
これが正しいのだと主張する気もありません。
自分なりの幸せの形があるのなら、それを大切にして生きていければそれで良いのです。

◆ 幸せの手引書

世の中には数多くの 「幸せの手引書」 のようなものがあります。
僕がこうやって記事を書いて投稿している note もそうですよね。
検索するとそれはそれは沢山の記事が出てきます。
どの記事も、こうすれば幸せになれる、あんなことをすれば幸せな人生になれるという類のものです。
note 以外でも、書籍や動画まで含めたら星の数ほど、「幸せの手引き書」 があるのではないでしょうか。

僕はそのような 「幸せの手引書」 を読むことはあるかもしれませんが、
それを自分に当てはめようとか、その手引きに従って生きてみようとは
考えたことも思ったこともありません。
「あぁ、そういう考えの人もいるんだな」
そこまでです。

もちろんその記事を書いた人々の考えや経験を否定するものでも批判するわけでも決してありません。
素晴らしい考え方や言葉が沢山あります。
素晴らしい価値観の人も大勢います。
でも、僕はその真似もしないし自分の中に取り込むこともしません。
幸せについての考え方というのは、あまり意味のない情報共有とも思えます。
それは何故か?
人それぞれに、「幸せ」 の定義が違うからです。

◆ 「幸せ」の定義

僕が人様の意見を取り込まない理由をもう少し細かく言うと・・・
そもそも論ですが、「幸せ」 という言葉の定義を誰一人できる人はいないことが一番の理由です。
金銭的なことに幸せを求める人もいれば、金銭的なことにはまるで興味すらない人もいます。
恋愛を成就させることで幸せになった人もいれば、恋愛のおかげで幸せを遠ざけてしまったという人もいます。
夢が叶えば幸せだという人もいれば、そんなことでは満足できない人だっています。
一人一人の人生で何をもって幸せとするかが全部違うのに、幸せになるための手引きをしてもらうことで本当に幸せになるのでしょうか?
僕にはそうは思えないのです。
・車の運転やバイクの運転
・スポーツや競技
・学問や研究
そういうものなら答えは明確ですから、正しく指導されれば誰がやっても良い方向に向かい、良い結果につながるでしょう。
客観的な根拠に従って進めていけばそれなりの結果に結びつくというものです。
しかし、「幸せ」には答えがありませんから、「〇〇すれば幸せになる」
なんて言われたところで、それがその人の生き方や価値観、人生観、生活様式に当てはまるかどうかなんてわからないし、
わからないものに従ったところで答えが出るとも思えません。
なので僕は、考え方としての意見は聞きますが、自分のものにしようとは思わないのです。

◆ 僕なりの「幸せ」の定義

生きている間、苦しいことの連続で何も良いことがなかったとしても、
人生を終わる間際に一生を振り返った時、
一生懸命に生きた、悔いはない、良い人生だったと思えれば、それが僕にとっての幸せです。

つまり、今がどんなに幸せでも、何の苦労も痛みもない人生を過ごすことができたとしても、人生を終わるその瞬間に、思い残すことや後悔があったとしたら、僕は幸せな人生だったとは言えないんじゃないかと思っています。

他の人はどうか知りませんが、

成功したか成功していないか、
欲しい物が手に入ったか失ったか、
金があるかないか貧乏か、
笑えることがどれだけあったのか、
泣いたことがどれだけあったのか、

こんな、幸せに直結していそうに思えることと、本当に幸せだったかどうかとはあまり関係がなくて、
良い結果に結びつかなかったにしてもそれまでの自分が懸命に生きたのなら納得はできます。
そうです、結果ではなくプロセスですね、そこに納得がいけば人生の最期に 「幸せだった」 と思えると僕は信じて疑いません。
あくまでも僕自身の定義なので、他の人に当てはまるかどうかは別の話です。

◆ 自分を不幸だと思っている限り幸せにはなれない

ただ、これだけは共通して誰にでも当てはまるだろうと思います。
それは、自分を不幸だと思っていれば幸せにはなれないし、自分が不幸なのは環境や他人のせいだと思っている限りは不幸なままなんだってことでしょうか。

例えば、貧しくて毎日質素な食事をしている人が、
「毎日食事ができて幸せだ」
そう思えばその人は幸せなのだと思います。

例えば、お金持ちで、毎日一流の材料で一流のシェフが料理した食事をしている人が、
「こんな料理ばかりでうんざりだし、こんな生活は不幸だ」
と思えば、その人は不幸なのだと思います。

幸せの定義は人それぞれに違うのは確かですが、誰かとの比較ではなく、環境のせいでも他人のせいでもなく、自分自身の在り方を見た時考えた時に、謙虚さを持って自分を幸せだと思えない限り、幸せは遠い、それは確かなことだと考えています。

いいなと思ったら応援しよう!