デジタルの未来
なんだか派手なトップ画像になってしまいました(笑)
たまにはこういうのもいいかな・・・
僕はIT関連の仕事をしている立場なので、おおっぴらにこんな事を言って良いかどうかってことはあるのですが、、、
note は個人的なことを書く場所なので、一旦仕事は忘れることにします。
今から30年ちょっと前くらいでしょうか、世の中に少しずつ携帯電話なるものが 普及し始めた頃、企業では机の上にパソコンを置くようになりました。
つまり職場へのコンピューター導入です。
それまでは、電卓とノート、伝票や見積書、納品書、請求書や図面などが机上を占有し、どこにもデジモノというものはありませんでした。
それがある日、Windows 3.1 やWindows NT などに置き換わり、いつの頃からか、誰の机の上にもパソコンやモニターが陣取る世の中となりました。
そして現在はというと、皆さんよくご存知の通り、
一人一人にパソコン一台ずつは当たり前で
スマホにタブレット
ウェブ検索ではなくAIを使った情報収集、
作画、動画や写真の加工、
プログラームソースの生成、
画像や動画から人や顔、物を認識、
音声認識や加工、同時通訳、
図面を描くドラフターもほぼ絶滅
まぁ、挙げたらキリがないほど多くのことをAIやITが代行してくれています。
そのうちキーボードやマウスも必要なくなるんじゃないでしょうか。
更には人間も不要な時代が来るとか・・・
デジタル社会はこの先数十年のうちにどうなるんだろうかという想像をめぐらせたとき、僕はふと思ったのですが
アナログに戻るんじゃないか?
っていうことなんです。
馬鹿げてるって思いますか?
正確に表現すると、社会のすべてではないけど、ある部分はアナログに戻さないと、このままデジタル化が進み続けると人間の方が破綻するんじゃないかって思うんです。
例えばですけど、、、
もしも生活のすべてが、仕事の全部が、声だけで完結できちゃったとしたらどうでしょう?
そんな世の中で生活したいと思いますか?
電車の駅はどこも無人
車内アナウンスはAIの合成ボイス
レストランへ行くとタブレットで注文してロボットが食事を運んでくる
買い物をするとレジへ行く必要もなく店を出る時に自動的に決済と精算
職場へ行けばコンピュータと会話をしても同僚や上司との会話なし
子供達はAIのおかげで何の準備も支度も工夫もしないで遊べる
家では寝るときも食事も証明の入/切 まで全部自動
何の手間も工夫も操作も要らない
ちょっとしたSF映画みたいですけどね、僕個人は全部否定したいです。
世の中の人達はこんな世界で生活したら楽しいのかな?
僕は楽しいとか楽しくないとかっていうより、人間の能力が何も発揮される機会がなくて、いずれ人格や能力、思考力などがことごとく破綻しちゃうんじゃないかって思います。
だから否定的になるんです。
例えばだけど、
子供は幼少期から小学校卒業するくらいまでの時期に、友達と色んな遊びをすることで色んなことを訓練や学習します。
・仲間同士で小さな社会を作る工夫やコミュニケーション
・遊ぶための道具や場所、環境を工夫する
・環境が整わないと遊び方の方を工夫する
・工夫したことをルール化して友達同士で合意を得るための会話をする
・外で遊ぶので、空地への移動や友達の家へ行くにも、遊びそのものでも
体を使うしかなかった
僕が子供の頃はゲーム機もスマホもパソコンも存在していなかったので、遊ぶ時は屋外で、野球や追いかけっこ、缶蹴り、ベーゴマなど、何かしらの工夫をしなければ遊べなかったし、そのための相談を友達同士でやっていました。
知らず知らずそれが身に付いて、工夫する習慣やコミュニケーションができるように育ちました。
もちろん、個人差や能力の違いはあるから誰でもそうだとは言いませんが、
ある程度誰にでも共通しているのではないでしょうか。
それがすべてAIやデジタルのものに置き換わって、工夫も相談もルール化もする必要がなくなったら、どこでそういう訓練や学習をするんでしょう?
そう考えると、便利だとばかりも言えないので、いずれ便利さを犠牲にして敢えて人間の能力を退化させないためのアナログな世界も必要だと気付く時が来るんだろうなって思うわけです。
アナログこそ、人間を本当の意味で育ててくれるんだと僕は思います。
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