自分の特性に気付いた
つい最近
なんとなく考え事をしていて、ふっと何の前触れもなしに
降って湧いたよう気付いたことがある
『俺は何かに集中している時が一番気持ち良いと感じる奴』
今更ながらだけれど
この年齢でやっと自分のそういう特性に気付いた
思えば40年も前のこと
FZ750で筑波サーキットの走行会に何度か一緒させてもらった
先導車がいるとはいえ、公道とは違って皆が本気で走る
置いてけぼりが大嫌いな僕は夢中で走る
当時は気付かなかったが
バイクの運転も楽しい
でも
何よりも楽しんだのは高い集中力だった
五感のすべてを研ぎ澄まして
頭のてっぺんからつま先までの使える体は全部使い
全ての神経を走る事に集中して走っていた
こんな集中力は、日常生活の中ではやろうと思ってもできない
非日常のスピードで
ほんの少しの狂いも間違いも許されない状況だからこそ
あり得ないほどの高い集中力を保っていた
指先でミリ単位のブレーキ操作をしながら
同時に右手で包んだスロットルグリップもミリ単位で扱い
尻から太ももにかけて、皮膚から伝わる感触でリアタイヤの滑り具合
グリップの感覚を掴む
路面に自分の走行ラインを描いてそれをトレースする
最終コーナーへ入れば120km/hくらいのスピードで走っているのに
ステップは路面に擦りっぱなし
だからステップが持ち上げられて
右足がステップとフレームの間に挟まれて押されているのがよくわかる
しかも、自分の顔のすぐ横には赤と白のゼブラゾーンが手が届くほど近い
当時は走ることにばかり夢中で気づかなかったけれど
こんな集中力を経験したことはなかったし
今になってバイクに乗るようになったことで
この事をはっきりと体が思い出した
野球の審判をやるようになっても同じものがある
自分の判定次第で
勝っているはずのチームが負けるかもしれない
負けているはずのチームが勝つのかもしれない
選手の試合の結果は俺次第だ
そう思うと決して間違うわけにはいかない
だから必死でプレイを見る
必死で動く
アマチュア野球にはビデオ判定などない
だから目の前の僅かコンマ何秒に見たものが判定の全てだ
それを見逃さないための集中力
これも日常生活には存在しないものだ
バイクはひとつ間違えば命にかかわる
審判はひとつ間違うとプレイをする両チームの選手30人か40人の
今後にかかわる
だから頭の中は他のことが入り込む余地なんて1ミリだってない
この瞬間がたまらなく好きで仕方がないんだ
そういう特性が俺にはある
そう気づいたら
なんとなく今の自分がどういう奴なのか
少しわかった気がする
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