バイクの不思議
高校生の時に 「バイクに乗りたい」 と思った
校則というものもあるし、親にも卒業してからにしろと言われた
だから卒業まで免許を取らずに我慢したのだけど
卒業してすぐに教習所に通って中型二輪の免許を取った
バイクに乗り始めたきっかけも理由も 「乗りたい」 それだけだった
よく考えてみると、子供の時にも乗っていたことに気が付いた
よく父親が乗るビジネスバイクの後ろに乗せられていた
どこへ行くにもいつでも、どんなに寒い日でも僕は
バイクの後ろに乗るのを嫌だとは言わなかったそうだ
確かに、自分の意思でバイクに乗り自分で運転するのと
親のビジネスバイクにタンデムするのとでは
乗る事のきっかけも意味も目的も乗り方も
すべてが違うということはわかっている
でも、ひとつだけ共通している
空気中に体をさらけ出して走るということだけは何も変わらない
記憶は定かではないが、あんなチビ助の頃に
バイクに乗るのを少しでも嫌だったと思った記憶はまるでない
それどころか、バイクに乗ることの楽しさを知ってしまった
そんな気がしている
自分でも何が楽しいのかはわからない
一度走り出すと100キロでも200キロでも走り続けることができる
時間にすれば1時間、2時間、休憩もせずに走りっぱなしの時もある
ツーリングならそのくらいは普通のこと、あたりまえにあること
テレビの前で1時間座っているのでさえ辛いこともあるのに
バイクに乗ると3時間だろうと4時間だろうと苦痛だとは思わない
バイクというのは本当に不思議な力を持っているものだと感心するばかりだ
風を切って走るの心地よさ
自分で運転をする一体感
コーナーリングが楽しい
スピード感や加速感
ワインディングでの解放感や景色
マスツーリングでの連帯感
バイクに乗る色んな人達が口々に言うのはこんなバイクの良さなんだけど、
これはどれもみんな本当にその通り
僕だって同じことを感じながら乗っている
でも、これらのどれもが、表面的なものでしかなくて
もしかしたらもっと根の深いところに魅力の根源みたいなもの
あるんじゃないだろうかと思う
例えば
バイクは何においても正直で一切の忖度や誤魔化しがないことかな
なんて思ったりもする
操作を間違えたら転倒することもある
コーナーで小石を踏んだら転倒することもある
ほんの僅かなよそ見や脇見で何かにぶつかったり転んだりもするし
転倒すれば容赦なくアスファルトに叩きつけられる
整備を間違えばエンジンがかからなくなったり走れなくなったりする
ネジがひとつ緩んだだけでも致命的な故障になりかねない
ブレーキが効かなくなることだってある
すべて自分にしっぺ返しが来るのだから
安易なこと手抜きなどできるはずがない
バイクとはそういう厳しい乗り物だ
ある意味で自分を試されているとも言えるかもしれない
それだけにバイクは生身の人間よりもよほど正直な存在だ
だからバイクと一体になるほかないし
一体になれた時の感覚は日常生活では決して得る事のできないものだ
それがどんな風にバイクの魅力になっているのか僕にはわからないが
そういう特性を持っていることは確かだ
一体何が惹きつけているのかわからないし
8か月前にバイクに乗るようになって
まだまだ乗り続けたいと思う理由をはっきりと説明することができないし
乗っていなければ自分ではなくなるような気さえすることは事実
バイクに触れてこなかった32年は本当に長かった
本来の自分ではなかったから尚更長く感じたのかもしれない
バイクを得た今、本来の自分で生きるここから先の人生はアッと言う間なんだろうと思う