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幸せってなんだろう?
もしかしたら、過去に話題にしていたかもしれないけど、
過去記事の中身を確認するのも大変だし、
それに二回同じ話をしちゃぁいけないなんて決まりがあるわけでもないし、
だから重複を恐れずに、何度でもしちゃうぞと思った次第です。
世の中では、色んな人が色んな風に「幸せ」と言う言葉を使います。
例えばですが・・・
・良い環境で競技やスポーツに取り組めて幸せです。
・幸せな家庭を築きたいです。
・良い仕事に就くことができて幸せです。
・裕福で幸せな生活をしたいです。
まぁ、よく聞く話がこれです。
もちろん、これらの考え方や価値観を否定しようとかダメだとかいう話ではありません。
ただ、素朴な疑問として、人は誰も一時的に満足できたり希望が叶うことを「幸せ」と呼んでいるのでしょうか?
という僕の疑問をここで投げかけたかったのです。
例えば、指導者や練習場所など、選手として取り組むための環境は全て整って、スポーツ選手として競技に専念できることを「幸せ」と言うのは普通のことだと思います。
では、その選手生活を生涯続けることができるのでしょうか?
いつの日か、選手でなくなった時には競技も環境も消えてなくなるのです。
そこからは「幸せではない」いうことになるのでしょうか?
例えば、「幸せな家庭」とは、想像するところでは、家族の誰一人として病気をすることもなく、衣食住が満たされ、休みともなれば家族でレジャーをし、良い思い出をつくり不自由のない生活のできる家庭を思い浮かべます。
では、もし家族に病を抱える人がいたら?家族で旅行することもできなかったら?それは幸せな家庭ではないということでしょうか?
恐らく、世の中の一般的な人々が言うところの「幸せ」というのは、
希望が叶う事、望んだ通り、或いはそれ以上の良い状況になること、満足できることであって、それが永続的であるかどうかに関係なく満たされていればそれを「幸せ」と呼んでいるように僕には思えるのです。
人生の途中で転んでしまったり、倒れてしまったり、何か大切なことを失ってしまったり、そんな状況でも自分を「幸せ」と思う人はいないわけではないのでしょうが、ほぼ聞いたことがありません。
では、僕が考える「幸せ」とはどんなものか?
結果として、形として、物質的に、願いが叶うかどうかと関係なく、
満足できているかどうかにも関係なく、
懸命に生きた、なにもやり残したことはない、できることはすべてやった、
良い人生だった・・・と、
人生の最期の瞬間に思えることが幸せなのだと考えています。
ですから、生きている間に躓いたり転んだり倒れたり・・・
何一つ満足できなくても叶わなくても、だから幸せではないとは、
少しも思わないのです。
どんなに恵まれた環境の人であっても、失敗したり傷ついたりすることはあります。
決して無傷の人生なんてほぼあり得ません。
そういう人生の山や谷を繰り返した後で、良い人生だったと思えたら、誰でも幸せを感じるのではないかと僕は思います。
「幸せ」というものを、あなたはどう思いますか?