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【エッセイ】細胞内の記憶

自己紹介でも記事の中でも、僕は何度もリターンライダーであること、そして30年以上バイクに触れることのない生活をしてきたことを綴ってきました。
ですが細胞内の記憶に関してはここで初めて触れる気がします。


記憶はどこにあるか?

僕は医学に関しては全くの素人というか、恥ずかしながらほぼ何の知識も持ち合わせてはいません。
医学知識に関しては無知の代表的な存在と言っても良いでしょう。
そんな無知な僕でも、さすがに人の記憶が脳内に蓄積されることくらいは知っているつもりです。
ところが、オートバイに関する記憶は、脳ではなく体中の細胞が記憶しているんじゃないかと思っています。
こんな話、笑われてしまうかもしれませんんね。
でも僕には、若い時にオートバイを運転しながら、その操作の方法や微妙な加減、勘所はすべて、脳ではなく指先の細胞、足先の細胞、肩や腰の細胞、
体中の細胞がすべてを記憶しているんだと思えてならないのです。

オートバイにリターンした日のこと

2024年3月、僕はバイクリターンするにあたってどんなバイクを買うのかを随分迷った結果、CB1300STを買う事にしました。
この車種は台数も少なく、どこでも売られているというものでもありませんでした。
CBの中古を在庫しているショップをネットで探し続け、栃木県宇都宮市に
1店だけ希望に叶う1台があることがわかったのです。

ショップに連絡をして現車を見せてもらうための予約をし、その当日に
宇都宮へ出向き、現車を見たその場で代金を支払い購入の手続きをしました。
そして、1週間ほどが経った3月19日、僕は新品のヘルメットを手に東北新幹線で宇都宮へ行き、CBと再会、この納車の日からリターンライダーとしての毎日が始まったのでした。

いくらバイクが好きで毎日バイクに囲まれて生きていたと言っても、
さすがに30年以上もの間バイクには指一本触れることさえない期間を
過ごしたわけですから、
「大型バイクをいきなり宇都宮から乗って帰って来るのは大変なんじゃないか?」
普通の人ならそう思うのかも知れませんよね。
確かに勘や感覚を取り戻すのには、それ相応に時間がかかるのだろうと
思っていたし、まともな運転ができるんだろうかという不安がまったく
なかったと言えば嘘になります。
しかし、ETCのセットアップができていないこともあり、この日僕は
高速道路を使わずに4時間かけてCBを運転して帰りました。
納車がそのままちょっとしたツーリングってわけです。

恐らく、30年のブランクの後でいきなり1300ccのバイクに乗って4時間のツーリングをしようと思う人はそうそういないのだろうと思います。
中には教習所である程度練習してから復帰する人もいるくらいですから、
考えようによっては僕は無謀なことをしたのかも知れません。
もし誰かが僕と同じことをしようとしていたら、今の僕なら無理をするなと言うのだろうと思いますが(笑)

その一方で、自分でも矛盾しているとは思いますが、30年経って初めて
触るバイクが1300ccであろうとなんだろうと、バイクであることに
何ら変わりはない。
しかも、バイクを離れるその時まで大型バイクばかり何台も乗っていたの
ですから、体に染みついたものは今もそのままだという思いもありました。
だから納車のその日に宇都宮から自宅のある千葉まで乗って帰って来る事には何の躊躇いも迷いもなく、むしろそれが当然だという感覚だったのも事実です。
だから納車のその日は
初めてバイクに跨る日でもあり、
初めてのツーリングでもある、
そこに疑問を持つことはありませんでした。

体が勝手に操作

納車当日、僕は新品のヘルメットを抱えて東北新幹線に乗り宇都宮へ向かいました。
新幹線の車中、不思議な事に不安は全くないというだけでなく、念願のバイク乗りに戻れる事の喜びやワクワク感で満たされながら車窓の景色を眺めていました。
心の隅にあった「まともに乗れるのか?」 という不安はすっかりどこかへ吹き飛んでいたのです。
ショップの前でCBのエンジンをかけ、買ったばかりのヘルメットを被り、買ったばかりのグローブをしていよいよ道路へ・・・
道路へ出るといきなり幹線道路。
乗用車もトラックも走っている道路を車の流れに乗ってCBを走らせる。
30年振りの走行風を受けながら、細胞が全てを記憶している事を僕は確信するまでに、時間にして5分とはかかりませんでした。

アクセルを開ける、アクセルを戻す、ハーフスロットルを維持する。
クラッチレバーを握り半クラッチを使う、クラッチをミートする。
前ブレーキを使う、リアブレーキを踏む、そして放す。
ギヤチェンジ、アップもダウンもギクシャクしない。
どの操作も適切なタイミングで適度な強さで、状況に適した操作ができている。
時々ギヤ抜けするが、それは操作が悪いのではなく、ギヤのスライドの問題だから後で点検すればいい。
車線変更は必ず目視で後方確認をする。
バックミラーで常に後ろの様子を観察する。
いつでも減速できるように人差し指と中指の2本をブレーキレバーに乗せたままアクセルを操作している。
ちょっとした車の挙動変化で、その車が次の瞬間にどんな動きをすりのかを予測する。
くるぶしのあたりでステップに足を踏ん張りながら路面のギャップをかわすとか。
現役時代に自分がやっていた運転操作、事故を避けるための安全確認、どれ一つとして頭で考えるとか、昔やっていたことを思い出すとか、そんなことをする必要なんてまったくありませんでした。
どれもこれも、体が勝手に反応して動いてくれていたからです。

細胞の記憶は正直

ただ一つ不安があるとするとすり抜けですね。
若い時はすり抜けはけっこうやってたからそれ自体に不安はないんだけど、
パニアケースのついたバイクは人生で初めてだったこともあって、
細胞の中の記憶には、パニアケースですり抜けをする感覚、車で言うところの車幅感覚がないのです。
細胞の中の記憶は実に正直で、だからすり抜けだけは不安があるし、
もしものことを考えると無理をする理由もないので、すりぬけは意識してやらないようにしました。

それ以外の運転操作も安全確認も、脳内の記憶ではなく全てが細胞に刻まれた記憶からだったので、不安なく走ることができました。
ただひとつ、多分多くのリターンライダーは僕のように細胞の記憶でバイクに乗れるので、若い時と同じ感覚で乗れることに安心してしまうのだろうと思います。

久し振りという感覚はない

一つだけ、今でも不思議に思うことがあります。
それは30年以上のブランクがあったのに、久し振りにバイクに乗ったという感覚が全くなかったと言うことです。
もしかしたら、細胞で記憶していると言うのはこの事なのかも知れないとも
燃えますが、確かな事はわかりません。
ただ、実感として30年振りのバイクではなく、つい先週までバイクに乗っていた、100歩譲っても1ヶ月振りにバイクに乗ったと言う感覚なのです。
少なくとも30年振りの再会ではまったくなかったかな。
脳の記憶なんていうものはアテにならない事が多く、年月とともに薄れていくか、年月の間に間違った記憶にすり替わってしまう事がある。
記憶の経年劣化とで言いましょうか・・・。
ところが細胞に蓄えられた記憶というのは時間の経過という概念が存在しないのだと思えます。
まったく記憶が錆びていないし古くなっていない、だから30年前のように運転する事ができたんだと思うと、なんとなく納得はできます。

記憶は更新すべき

昨年リターンして10ヶ月ほどのバイクライフを過ごし、もう一つ気付いた事があります。
体の衰えと記憶とのギャップを、僕自身が意識して埋めていかないといけないという事です。

例えば視力。
現役時代の視力は裸眼で1.5
還暦を過ぎてからの現在の視力は0.5くらい。
若い時と同じようにクリアに物が見えるわけではないし、夜間や雨天なら尚更見えにくいのは事実です。
自分では実感しにくいですが、道路上の車や人の動きを察知し、これに反応するまでの時間も若い時ほど速くはないはずなんです。
もちろん体幹も筋力も、体の柔軟性も、どれをとっても20代の時のそれと同じにはなり得ません。

一方、運転操作を細胞が記憶していたとしても、それは20代だった頃の記憶です。
当時、今よりもはるかに肉体的な衰えのない、肉体的なピークの時にできた記憶です。
ところが今の自分はどうひいき目に見ても肉体的な衰えは明らかです。
肉体が衰えている以上、若い時に蓄えた記憶と現在の肉体の間には相応に
ずギャップというものがあります。
このギャップを埋めるべく、細胞の中の記憶を現在の肉体に合わせた記憶に更新していく作業が必要になるのではないでしょうか。
多分、この更新作業を怠ると、増え続ける中高年のバイク事故を更に増やす事になるのだろうと思います。

若い時も事故を起こさないための乗り方や転倒しないための乗り方は常に考えていました。
しかし今はその時以上に考え意識しています。
バイクで事故を起こすことだけは絶対に避けたいですからね。
だから note に自分の乗り方を書きながら自分自身に対して啓蒙・啓発するようにしています。
今こうして記事を書いているのも、誰かに読んでもらうためと言いながら実は自分自身の思考の整理のためなのです。

もし今からリターンしようと思う人がこの記事を読んでくれているなら、是非とも細胞の記憶を更新しながら乗って欲しい思います。
この記事が僅かでも参考になれば良いなと思います。

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