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隠居制度のメリット(両親欄が追記、戸籍の除籍が遅れる可能性を解説)

戸籍に於いて、隠居というのは、主に戸主が死亡前に家督を譲ることを指します。この隠居制度、実は先祖探しには好都合なことがある、という話を今回したいと思います。最後までご覧いただけたら幸いです。

①隠居制度を更に詳しく

これに関しては、以下の『家系図作成・先祖の調べ方の極意』様のホームページに載っておりますので、ご参考ください。

②好都合な理由

隠居後に作られた戸籍の除籍時期が遅れて廃棄を免れたり、母親の追記の可能性があるから

現在取得可能な戸籍は、明治19年編成からの戸籍になりますが、平成22年(2010年)まで、除籍になった戸籍の保存期間は80年とするという法律で、残すか残さないかは各市町村の判断でしたので、中には昭和4年以前の除籍を廃棄してしまった役所も存在します。

そうなると、役所に残されている戸籍には江戸時代に生まれた人が載っていない可能性だって十分にあります。

そんな時に隠居制度が素晴らしい働きをします。以下の戸籍をご覧ください。

広島市役所が廃棄した戸籍謄本(大正元年除籍)

この戸籍は、明治19年式戸籍を模した物です。戸主の飯島梅太郎は大正元年に隠居し、長男の喜八郎に家督を譲りました。

この戸籍の除籍年は、梅太郎が隠居し、この戸籍が閉鎖された大正元年となります。

*広島市は、大正3年12月31日以前の除籍簿を全て廃棄していますので、大正元年除籍の、この戸籍は廃棄されています。(旧湯来町を除く)

次の戸籍は、長男の喜八郎が大正元年に家督を継いだもので、明治31年式の戸籍になります。

広島市役所に残されていた戸籍謄本

飯島喜八郎が戸主になったのは、父の梅太郎が大正元年の隠居によるものなので、明治31年式の書式になります。

父の梅太郎は息子の喜八郎が戸主の、この戸籍に父として、やかは母として記載があります。

御分かりだと思いますが、明治19年式戸籍には梅太郎の父の八蔵しか分かりませんでしたが、母の『ごん』が追記されています。明治19年式戸籍には亡き母親を書く欄が無かったので、書かれませんでしたが、明治31年式になって両親欄が設けられたので、当時の戸籍担当者が壬申戸籍を見て、ごんを追記したのかもしれません。

母親のやかの実母は、『あさ』だと分かりました。事項欄を見ると、

「母の名は、飯島喜八郎の家督相続届け出により追求す」

とあります。飯島喜八郎が戸主の戸籍が作られた際、役所担当者に喜八郎がやかの母をあさと届け出たから記載されました。

*役所によっては母親欄を追記しないで空欄にする所もあります。

そして、御分かりだと思いますが、梅太郎が戸主の明治19年式戸籍は、大正元年除籍により、広島市で廃棄されていますが、この戸籍にて誰も死亡して除籍にされた人が居ませんでしたので、息子の喜八郎が戸主の物に全て情報が引き継がれ、更に19年式では不明だった母の名前まで分かりました。喜八郎が戸主のこの戸籍は、昭和15年除籍なので、天保生まれの梅太郎とやかの記載がある戸籍が残されたのです。

飯島家の過去帳を見ると、梅太郎の父の八蔵は、明治15年、母のごんは明治17年にそれぞれ亡くなっていましたので、明治19年式戸籍に載っていたことはありません。

よって、梅太郎が戸主の明治19年式戸籍が廃棄されており、内容が確認できないとしても、息子の喜八郎の明治31年式戸籍と廃棄された戸籍の情報量はほぼ同じであったと解釈できます。

このような感じで、先祖が亡くなる前に隠居している場合、より若くて長生きする息子が戸主の戸籍に父、母として載る場合があります。息子の方が両親よりもより長生きし、昭和5年以後も存命の場合、このように江戸時代生まれの先祖の記載のある戸籍が残されるのです。

*隠居をせず、梅太郎や、やかが明治19年式戸籍で死亡の場合、残念ながら息子の喜八郎の戸籍には引き継がれませんので、家系図の情報は乏しくなってしまいます。

廃棄の役所に当たったとしても、先祖が隠居していれば、古いことが書かれている場合があるといったテーマで今回はお話しました。最後までご覧いただきありがとうございました。

六右衛門


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