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ロコたろうと学校の学び

 おはようございます。入力し始めた今は、午前5時半。いつものクセで早く目が覚めてしまうのと、せっかく寝坊できるときに限って下の子が少し前からグズグズ。大声ではなく、静かにシクシクと泣いていた。トイレにつれていって用を足したら機嫌が直り、
「カレンダーびりびりってして!」
と、まだ5月のままのカレンダーを更新しろと訴えてくる。こういうきっちりとしたところが、下の子。きっちりしすぎていて、ずぼらな私と衝突することもしょっちゅう。
 
 そのカレンダーを見て、ふと気がついた。上の子の学用品を注文しなきゃなはずだったんだけど、追っての手紙がなかったなと思ったら、もう渡されていたそのものが注文用封筒になっていたことに気がついた。しかし、締め切りは昨日。上の子、これがいい! と言っていたのに・・・。
 ただ、今回は学校でも代替案が用意されていて、
「今回の注文で買うと必要なものは全部そろっているけれど、各自で購入してもよい」
と、バラで必要なものリストも書いてある。
 上の子には丁重に謝るのはもちろんだけど、逆に一緒に買いに行くという楽しみができたかもしれない。

習う内容ってこんなにちがうんだ

まずは、生活科 

 実際に子どもをもつと、「あれ? これ、私のときと習う年齢がちがう?」ということが結構ある。そりゃ、我が子たちと私とじゃ年齢もそれなりに離れているので、内容が変わっても当然と言えば当然なのだけど、つい、自分のときってこうだったなぁと比較してしまう。
 
 そのひとつが、生活科。私たちは1年生からバッチリ理科と社会にわかれていた。ああ、年齢がバレてしまうか。これが、年齢の離れた身内のときには、1、2年生のうちは理科と社会が統合された「生活科」という教科だった。自分が生活科という教科を体験したことがないので、さてどんな感じなのだろうと思っていると、「身のまわりのこと」として、自分が住む地域にはどんなお店や公共施設があるか、どの季節にはどんな花が咲いているか、といったあたりの話を、上の子がしてくれる。

植えるものがちがう

 その中で、ひとりひとりに当てられた植木鉢や、学校の畑や花壇で植物を育てる、というのは、私たちも(低学年の)理科でやってきた。1年生であさがお、2年生でひまわりだったように覚えている。
 それが上の子は、1年生であさがおなのは同じだけど、2年生ではミニトマト。地域の事情などによってもちがうのかなと思いつつ、内容が変わって当然という観点に立てば、そりゃ、ひまわりからミニトマトになっていたっておかしくない。
 これでかわいかったのが、大型連休に帰省したときの上の子の行動。実家の庭につくられた畑では、ミニトマトを植えている。昨年夏に帰省したときに、特にトマト大好きな下の子が父と一緒に収穫し、相当喜んでいたからと今年も植えたものらしい。残念ながら今年は5月の帰省だったので収穫はできなかったけれど、上の子はミニトマトが植えられている区画に近づくと、さっと後ろを向く。
「だって、学校でトマト育ててるから、見たら楽しみがなくなるもん」
との理由。かわいいヤツめ。

1年のうちから使ったような?

 今回、私が注文を忘れてしまったのは、「絵の具セット」。そこでふと思い出す。
 あれ? 絵の具セットって、1年のうちから使わなかったっけ?
 私の記憶がまちがっていなければの話。絵の具セットと筆を洗うバケツをうまいことくっつけて、片道2km近い道のりを通った覚えがある。まだまだランドセルも重く感じる年齢、そこにさらに絵の具セットという「大きなもの」が増えることが苦痛だったけれど、他の誰かが手伝ってくれるわけでもない。片道2km近くの通学は、低学年のときだけ。今でこそ実家に帰省しては懐かしく感じる通学路だけど、しんどさだけが思い出として残っているから、たぶん間違いない。
 上の子、2016年生まれ。早生まれではないので、今年小学2年生。私、小学1年生になる前から絵の具セットは持っていた気がするけどな? 

ちょうど移行のときだった

今になって気がつく「学習指導要領の改訂」

 私が小学校高学年になったころだったと思う、習う内容が削られたり、ちがう学年に移ったりしたことがあった。特に覚えているのが、理科の「花から実へ」という内容。この内容をやるときに、(もうすでに定年を迎えていると思われる)今思い出してみたら相当マズイやつだったぞと言える担任が、
「いい? 本当はこれは6年生でやる内容なんだけど、それを5年生でやれるんだから、相当ラッキーなんだ」
と、理科の時間になるたびに言っていたから。その担任が、たまたま廊下を通りかかった6年生に、
「もしかして、今やってる内容って、『花から実へ』? ほら、今みんなは6年生と同じことをやってるって!」
とわざわざ尋ねたりもしていたから、余計に。
 
 調べてみたら、学習指導要領の改訂にちょうどぶつかったのね。上記の生活科の新設もそう。
 そして今、上の子は小学2年生だけど6時間目まである日がある。私のときって、週1日は4時間目で帰れてひゃっほーい! だったよな? 6時間目まであったら、たぶんおばあちゃんが心配して途中まで迎えに来てた回数がもっと多かったよな?
 私たちのときはまだ土曜日も授業があったのもあるのかもしれない。そして今の上の子の時間割だと、各教科ごとに振り分けられている時間数が、国語が圧倒的に多いなという印象を受ける(1日に2時間ある日もある)。
 時代、時代によってこんなにも変わっているんだな。調べてみたらキリがなさそう。
 
 そういえば、これは母から聞いた話だから、本当かどうかはわからないが、伯母は尺貫法を習い、母は習わなかったという。こちらについても調べてみたら、日本でメートル法に移行したのが1959(昭和34)年らしく、これに伴い昭和36年度の教科書から尺貫法は扱われなくなっているそう。・・・ふむ、なるほど。年代としては間違ってはいなさそうだ。

「学び」が「新たな学び」につながる

タテも大事だけど、ヨコも

 今、小学2年の上の子に言っているのは、
「とにかく今やっていることが、何事にも基本になることだから」
ということ。
 学校では算数の筆算が終わり、長さの単位として㎝やmを習い始めたところ。2年生の算数の最大の関門として「掛け算」も控えている。
「野球で、あるピッチャーが完全試合を達成しました。このとき、負けたチームの打席数はいくつでしたか?」
と言うと、一生懸命時間をかけて、
「27!」
という答えを導き出す上の子。おそらく、3+3+・・・と、3を9回足したにちがいない(野球好きな上の子、前提として1回あたり最低3人のバッター、コールドでない限り9回まで、というのは知っている)。これを時間をかけずにパッと導き出すのが掛け算、と教えている。
 すると、
「割り算って掛け算の逆なんやで」
と、自慢げに上の子が言ってくる。
「1割る1は1だし、81割る9は9!」
 うん、合ってはいる。そこで私は尋ねた。
「数字としてはそうだね。だけど、どうしてその数字になるんだろう?」
 私はこの、「どうしてそうなる?」を飛ばしてほしくない。九九をただ暗記すればいいというのではなくて、「お菓子が6つ入った箱が4つあるから、6かける4で、ロクシ24。お菓子の数は24」という「こうだからこうで」という理由もしっかりしているなら、おそらく数字が変わったってちゃんと対応できるだろう。
 ちなみに上の子は、割り算のくだりは、算数が得意なきょうだいがいるという同級生に聞いたそうだ。割り算を習うのは3年生。
「掛け算の反対をすれば割り算はできるけれど、どうしてそうなるんだろう?っていうのを習うのは3年生ってことだね」
と、上の子は解釈したようだ。

 この、「こうだからこうで」と導くまでには、問題文をしっかり読み解く必要が出てくる。掛け算でよくある「文章題では数字が出てきた順に式を組み立てたらよいわけではない」というのも、これに該当するか。文章を読み解く力は国語力ということになるだろうし、社会で歴史を習ったときに「鎌倉幕府は何年間続いたか」という問いに対して、終わった年から始まった年を引けばその答えは出てくるのだけど、これができるためには「大きな数の引き算」ができなければいけない。
 足し算を習ったら引き算、足し算が理解できていないと掛け算が理解できず、掛け算が理解できていないと割り算が、という、同じ教科内での積み重ね(タテの学び)ももちろん大事なのだけど、学びは社会なら社会それだけで完結することのほうが難しい。必ずどこかで他の教科の知識が必要になってくる。こういう「ヨコの学び」も大事にしたら、きっと学びはどんどん広く、そして深くなっていくんじゃないかなぁと思う。
 
 そういえば上記の「花から実へ」のとき。他のクラスでは、雄花と雌花とある場合、雄花はいらない!という結論になったそうだ。これについて私たちのクラスで議論した結果、雄花は必要! となったのだけど、ここって性教育とも絶対に関わりがある内容なんだよな・・・。うまく結びつけられたら、面白半分とか冷やかしの対象、ということにはならない気はするのだけど・・・(すみません、とりあえず口にしてみただけ)。

そういえば私も!

 保育士の資格を取って現場で働くようになり、4月が2回目の春でした。もうそのときのような毎日誰かが泣いている!状態は過ぎ、私も、フォローに入るとき、そうでないときのリズムがだいぶできてきた。
 この中で他にも興味・関心のあることが出てきたのもあり、子ども関連の資格をもう少し狙ってみようかなという思いが出てきた。さすがに国家資格とまではいかず民間資格だけど、次の目標ができたことで、「そのためにはどう動こう?」が、何となく固まってきたところ。資格取得は年度内、遅くとも来年度いっぱいと考えていて、今はその前段階、「講座の受講料と受験に関する費用を貯める!」段階。
 目標が決まれば、学びはぐっと楽しくなる。「学校の」ではないけれど、さぁ、私も学ぶか!
 


 

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