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思い立って資格を取るまでのお話(10)
昔の記憶
もっと勉強しておくんだった! 「学校」と関わりをもたなくなってから学ぶ楽しさや学習内容の大切さを知って後悔する人は、案外いるのではないだろうか。恥ずかしながら私もその一人だ。
学生時代、学部は教育系ではなかったが教職課程を履修していた。講義名としての名称は忘れたが、教育原論と教育心理学の授業は受けた。受けたことは覚えている、しかし内容は忘れている。今の年齢の半分ぐらいのころの話だから忘れても仕方がないといえば、聞こえのいい言い訳になってしまう。
あのころしっかり学んでいれば、それこそ本当に教師以外なる道がないんだ! と真剣に授業を受けていたら、今でも少しは内容を覚えていたのかもしれない。と思うと、タイムマシンがあったらあのころの私に「将来絶対に必要になるんだから、しっかり勉強しときなさいよ! あっ、それから、教育原論は持ち込み不可の試験だからねっ!」とでも言っているだろうか。
保育士の勉強としての「教育原理」を進める中で、あ、この人名は見たことある! は、いくつも出てきた。モンテッソーリにペスタロッチ、デューイ、コメニウス、フレーベル。「生活が陶冶する」、「為すことによって学ぶ」、「20世紀は児童の世紀」。名前は覚えている。功績なども聞いた覚えがある。が、お互いが結びつかない。
どれもこれも懐かしい! 聞いたことがある! と見つけるだけでも、ちょっと楽しくなった。でも、本当に学生時代にしっかりやっておけば、こうしてイチからやる必要がなかったのになと思うと、どこか悔しい部分もあった。