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地道な考動の先に小さな花が咲く
最近、テストマーケティングという名の、自分のやりたいことを表面化させ、誰かに届けてみるという実践を繰り返して感じることは
言われたことや
目の前のお客様を対応すること
積み上げられたタスクをこなしていくことは
さほど難しいことではない
逆に
目の前にいない未来のお客様を
丁寧に拾い出し
地道に届くべき人に届ける作業は
一瞬足を止め思考を巡らせないと
辿り着かない結構面倒な作業で
試行しながら、微妙に施策をずらしつつ
思った以上に根気がいる
何も考えずに
街頭でただビラを撒きたい!
みたいな気持ちになるのだけど
この地道な考動の先に小さな花が咲き
積み重ねていくと
見えないところで
いつのまにか見ず知らずの人が
ファンになってくれている。
好きになるハードルが低い人は、離れていくスピードも早い人が多いように思う。でも「好きです!」と言われると、やっぱり嬉しくて一瞬踊らされてしまいそうになる。
逆に、関係性を築く壁が低くはないけど
本質的なところで繋がりを持てる人は
丁寧に(ここ、ポイント。焦らない)
アプローチしていけば
深く長い信頼関係が築いていける
そのためには、自分の目的を淡々とこなすことが
意外と大切なのだと思う。
たまに、へこんだり失敗して動転して、わー!わー!とその場でくるくる回りたくなったり、急激に自信をなくしたりするけど
外からのエネルギーに振り回されることが、一旦静まったら、私の中にある内なるエネルギーに耳を傾ける。
人は、意外とその場その場に翻弄されやすく、感情を持っていかれがちで(もれなく、私も多いにその気があった。今もある)
でも、「おーーーい!戻っておいで」と気付いて自分に声をかけられる習慣はついてきた。
立ち止まって、内省することは、結構へこむから、何も考えずに生きていきたい気持ちもやまやまだけど「実」を作る前に、土を耕し根を生やす。この2~3年はそこに徹しようと決めたから、ぐっと踏ん張る。
たまに3段飛ばしして階段を登りたい衝動に駆られるけど、世の中はそんなにうまく出来ていなくて、一つ一つしか階段を登らせてくれない。
でも、原則は裏切らない。
その貯金が溜まったら
ぽんっと、たまにはご褒美がくることも知っている。
昨年、転職してすぐ配属された部署は、鬼門と呼ばれるなかなかの、中々の‥‥人が、揃っていた。
「苦労すると思うけど、あなただったらうまく調整して変革を起こせることを期待してる」と人事に言われ、配属されたけど
全く仕事も引き継がれないまま
自分で掘り起こすしかなく
散々出る杭を叩かれながら
すべてにおいて監視され
鍛えられ笑
他の部署からは、「よく一年持ったね」と言われながら
それでも誰かが見ていてくれて
今年転籍し、大きな仕事を任せてもらえる
チャンスをいただいた。
あの経験も
今進めてる新たなチャレンジも
やっぱり、その先にある自分を諦めない、そこだけと思う。
自分がどう生きたいか。
私は「人生、これに生きてる!」と思いながら生きたい
周りの人にも、そう思える人生を届けたい
自分の命を終えるときには
貫き通せて幸せだったなと思いたい。
そのためには
目の前にいる私を選んでくれた人の
役に立つよう、一つひとつ丁寧に。
小さな一歩を積んでいくしかないのかもしれない。