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「詰め込み教育」と「ゆとり教育」について考えてみた

高度成長時代に育った私たちの頃は「詰め込み教育」と言われていた。
学習内容が詰め込みだったという意味だ。
教室の中も生徒がいっぱいの、詰め込みだったけど・・・

詰め込みは良くないということで、私の子どもたちの世代から「ゆとり教育」が始まった。

ゆとり教育で何が変わったか

「詰め込み教育」であろうと「ゆとり教育」であろうと、進学する段階に差し掛かれば、求められるレベルは変わらなかった。

だから、家計にゆとりのある家の子は、私立の学校や塾へ行った。
学校が詰め込みをやめたことによって、進学校に合格するためには学校で教えてくれることだけでは足りなくなったからだ。

そして、ゆとり教育になってもやっぱり学校の勉強がわからない子もいた。だから、家計にゆとりがあれば、やっぱり塾に行った。

ゆとり教育の犠牲者は?

いうまでもなく、家計にゆとりのない家の子だと私は思っている。
できる子もつらいし、できない子もつらい。

そして一番つらいのは「教えてもらえればわかるのに、教えてもらえない」子だと思う。 
能力があるのに、それに見合う教育が受けられないのは、本当につらい。

本人はそのことにさえ、気づいていないかもしれない。

詰め込み教育には希望があった


「詰め込み教育」にあった希望は、「家にお金がなくても学校で教えてくれることをきちんと理解して身につければ、道が開ける」ことだったのだと、今更ながら思う。

かつて、修学旅行も制服もない、進学校があった。
(今はどうなってるかわからないけど)
なぜか?
お金のない家の子に、配慮したからだ。

家にお金がなくても学力があれば、奨学金を受けて新聞配達をしながら大学に行った子たちがいた。
働きながら夜学に通って、司法試験を受けて弁護士になった人もいた。
そうやって、本当の人材が育っていった。

今は、子どもが減ったから大学が余っていて、お金があれば行ける。
なのに、本当は能力があるのに、行けない子もいる。
そのことに、胸が痛む。


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