チームに属するとケミストリーが起きる
[要旨]
千葉ロッテ監督の吉井さんによれば、海外のチームスポーツの人たちには、ケミストリー(化学反応)という意識が強くあるそうです。ケミストリーは、個と個の強みが交じり合うことで、チームに変化をもたらし、それが勝利につながるという考え方です。このような考え方は、組織という仕組みの利点を端的に表していると言えます。
[本文]
今回も、前回に引き続き、千葉ロッテマリーンズ監督の、吉井理人さんのご著書、「最高のコーチは、教えない。」を読んで私が気づいたことについて説明したいと思います。前回は、選手を急いで育成しようとすると、途中で伸び悩んでしまうので、時間がかかってでも、成長が止まらないペースで育成する方が、成長が持続し、最終的な能力も高くなるということを説明しました。次に、吉井さんは、チームと選手の関係について説明しておられます。
「ビジネスパーソンも、プロフェッショナルだと考えれば、何をやるときでも、誰かに見られていることを意識するべきかもしれない。何か不祥事を起こすと、会社名が出てしまう。自分が手を抜き、妥協すれば、自分の会社の社員は全員が手を抜き、妥協をすると思われてしまう。そういう意味で、自分の行動が会社を代表しているという意識は持つべきだ。ただ、プロフェッショナルは、組織やチームに属しても、基本的には一人である。一人ということは、自分で自分の看板を背負っている。一人ひとりの看板の集合体が組織であり、チームである。
会社やチームのために意識するのではなく、自分がしっかりすれば、結果として、組織やチームの看板も守れると考えればいい。僕は、組織のためにと思い過ぎると、あまりうまくいかないと思っている。『チームのため』という言葉は、耳ざわりのいい言葉だ。しかし、そこには犠牲の精神が入り込んでいる。この場合の犠牲の精神は、チームのために個人を犠牲にするという意味合いである。でも、僕はそういう考え方をしない。チームのためではなく、個人のプレーのバリエーションの一つとして、自己犠牲のプレーができるというだけだ。
自己犠牲のプレートは、自分を犠牲にすることではなく、個人が選択するプレーの一つに過ぎない。そこを勘違いしてはいけない。海外のチームスポーツの人たちには、ケミストリーという意識が強くある。日本語に訳すと、化学反応という意味だ。化学反応は、個と個が交じり合うことで、別の何かが生まれることを指す。あくまでも、個人がベースとなり、その強みが交じり合うことで、チームに変化をもたらし、それが勝利につながるという考え方だ」(220ページ)
日本では、組織に属する個人が、「組織のため」という大義名分で、犠牲を強いられることがあると考えている人が多いと思います。私も、残念ながら、そういうことは頻繁に起きていると考えています。現在は、だいぶ、対策がとられてきていると思いますが、いわゆるブラック企業で、従業員が、長時間労働をさせられたり、パワーハラスメントを受けたりするということがあります。したがって、日本では、「組織」に対するイメージがあまりよくないのではないのでしょうか?
しかし、私は、それは、組織という仕組みに問題があるのではなく、組織の管理者、会社で言えば経営者や幹部がそれに該当しますが、そういう人たちの組織運営のスキルが低いために起きていることだと思います。逆に、経営者の組織運営のスキルが高い会社では、高い業績をあげていますし、そのような業績は、組織という仕組みがなければ実現できません。
そして、話をもどすと、組織と個人の関係を、吉井さんは、「ケミストリー」というとても上手な表現方法で説明しておられると感じました。個人と組織の関係については、私の専門分野なので、説明を始めるとたくさんの文字を使うことになってしまうのですが、吉井さんは、それを端的に表現していると思います。すなわち、個人は組織に属すると、その組織に属している別の個人と化学反応を起こし、組織に属していないときとは別の人間のような状態になって、より高い成果を生むということです。
ですから、組織という仕組みは、組織全体にとっても、そこに属する個人にとっても、メリットのあるわけです。しかし、繰り返しになりますが、現在でも、少ない割合とはいえ、組織でありながら、個人に犠牲を強いることしかしていない組織があることも事実です。したがって、業績があまりよくない会社の経営者の方は、組織運営について問題がないかを点検していただき、もし、個人に犠牲を強いるような状態があるようであれば、それを改善するための対策を取る必要があると、私は考えています。
2023/5/19 No.2347