自分は障害者なんだという衝撃

ADHDを和訳すると「成人型注意欠陥多動性障害」という長ったらしい名前になり、発達障害の一種ということになっている。

「障害」という文字が付いているだけあって、この診断を受ければ法律上も立派な障害者だ。

ちなみに「障害者」には4種類あり「身体障害」「精神障害」「知能障害」「発達障害」に分けられる。始めの3つは昔からあったが、「発達障害」は1980年代以降認知されるようになった比較的新しい障害らしい。

「障害」という言葉は結構な重みがある。

今まで自分には関係ないと思って生きてきたし、診断を受けた今でも自分が障害者だという自覚はあんまりない。正直、受け入れきれていない。この状態がいいのか悪いのか分からないけれど、ちゃんと受けれないと先には進めないんだろうなと思っている。

別に哀れみを買いたいわけでもないし、「俺は障害者なんだ!もっと丁重に扱え!」なんていう気もさらさらない。ただ、もっと生きやすいように人生を変えていきたいだけだ。

そういう意味では障害だと診断されてよかった。今までなんとなくモヤモヤしていたまわりとの違和感の原因がはっきりしたからだ。原因が分かれば対処ができる。

ADHDの特徴は好きなことは天才的だが、苦手なことは悲しいくらいに無力。でもこれだけ得意不得意が明確なら、なるべく得意なことに集中して、不得意なことは誰かに頼ればいい。できないことはできないんだと諦めもつく。職場や家族にも説明しやすいしね。

だから、自分が障害者だと告げられた瞬間は、残念より安心の気持ちの方が大きかった。あぁ、これでやっと意味不明な状況から解放される、そんな安心感。

そんな話を仲のいい友達にしてみたら「お前って、前向きな障害者だな!」と言われた。

不思議と悪い気はしなくて、障害に対する恐怖感が小さくなった。結局は障害があるない関係なく自分がストレスなく思いっきりやれる環境を整えたヤツが最強ってことなんやろなぁ。

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