ろっかく🌾農業×田舎フリーランス

大阪府泉佐野市で農業しながらフリーランス生活|35歳で会社を辞めて無職→Uターン就農→…

ろっかく🌾農業×田舎フリーランス

大阪府泉佐野市で農業しながらフリーランス生活|35歳で会社を辞めて無職→Uターン就農→複業Web制作で起業→法人化|映像クリエイター兼カメラマン|いなフリ統括講師メンター|築90年古民家シェアハウス「#ろっかくハウス」運営|サウナ好きは大体友達

マガジン

  • ほどらで社長日記

    会社員を11年、フリーランスを2年やってから2021年3月で法人化しました。 大阪府泉佐野市を拠点に事業をしている社長の記録です。

  • 39歳のリアルR

    39歳の1年間の成長記録

  • 『会社員生活最後の1ヶ月編』

    11年間、会社員として働いてきたけど今年いっぱいで辞めることにしました。来年からヌルッと個人事業主ってことになります。辞めるまでの最後の1ヶ月をリアルタイムで書いていきます。

  • 34歳ADHD漂流

    今まで普通だと思って生きてきた人間が、34歳にして成人型注意欠陥多動性障害(ADHD)だと診断され、動揺しながらも、この障害を受け入れて、自分らしく生きていく道を探していくまでの記録。 【注意】 個人的な体験をもとに書いているのですべての同じ障害の方に当てはまるとは限りません。また、その時の気持ちを素直に記録しているため、ネガティブな表現をすることもございます。

最近の記事

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「ひとつ歳を撮る」

多くの方々からのお祝いのお言葉、品物の提供。本当にありがとうございました。 おかげさまでまたひとつ歳を重ねることができました。 今年は39歳。いよいよ30代最後の年ということでやり残すことのない年にする所存です。 38歳の1年間は「不完全燃焼」というのが正直なところ。会社を作ったものの思った展開にならなかったり、大きめの企画を仕掛けるも各所にご迷惑をおかけしてしまったり、ほかにもなんやかんや。 まとめると「経営者として未熟すぎた」って感じです。 去年の末ぐらいから気

    • 「自分の成功は自分で作っていくしかない」地元に根ざし、社長になった話【厄年ロングインタビュー・後編】

      ※前編(六本木編)はこちら! 発達障害のひとつであるADHDが発覚し、「自分の成功は自分で作っていくしかない」と森下さんは覚悟を決めた。そして会社を辞め、フリーランスで自分の仕事を作っていくことに。活動の拠点に選んだのは、生まれ育った大阪・泉佐野だった。 泉佐野に戻った森下さんは、やがて2社の経営者となり、市との共同事業を実施し、移住者を増やしている。 前編となる六本木編に続き、旧知のライター・遠藤光太が、森下さんにロングインタビューを実施した。後編の記事では、泉佐野に

      • 天才だと勘違いした凡人が東京で挫折して本当の自分に気がつくまでの話【厄年ロングインタビュー・前編】

        「ウェイウェイって感じで、六本木の遊びをめっちゃしましたね。週末は朝まで飲んではしゃいで。年収600万円あったけど、貯金なんてない。スタッフ全員分おごってたし、むしろ赤字やったから、毎月カードの支払いに追われて……」 森下さんは、港区・六本木の焼肉屋で店長を務めていた。刹那的な楽しみを享受する反面、店長としての苦悩に苛まれていた。仕事がうまくいかない。レジ締めの数字が合わない。顔面蒼白になっていることを、部下から指摘される。その原因が発達障害だとわかったのが、34歳のときだ

        • 頼まれてもないのに一生懸命になれるものがあるのは最高に幸せな人生なんじゃないか

          フリーランス的な働き方をしているので仕事の量は自分で決められる。その割に1日10時間とか普通に働いたりしちゃう。会社員時代よりむしろ長くなっているくらい。 もっと休んでもいいのだけど、なんかやってしまうんよね。強制されているわけでもないのに。 大好きなクライアントさんがいて、自分にできることがある。ならもうがんばるしかないやろって感じ。 今年も1月1日以外は毎日仕事をしている。これは不幸だろうか? 僕はそう思わない。頼まれているわけでもないのに、自分の意思で一生懸命に

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        • ほどらで社長日記
          110本
        • 39歳のリアルR
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        • 34歳ADHD漂流
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        記事

          カメラを持つと世界の見え方が変わるというのは本当らしい

          泉佐野市駅前に事務所を構えて約1年になる。 それまでは泉佐野市の山間部にある実家で仕事をしていた。滅多に人が来ないので1人で集中するには最高の環境だったのだが、仕事の幅が広がり、人と会う機会が増えると逆に面倒になることが増えた。 なにしろ交通手段は1時間に1本のバスのみ。基本的には自家用車での移動が必須のエリアなのだ。 オンラインでの打ち合わせが増えたが、地元の仕事はまだまだ対面が多いので駅周辺で事務所を借りるメリットは大きかった。しかもちょうど南海泉佐野駅徒歩2分の物

          カメラを持つと世界の見え方が変わるというのは本当らしい

          自分の食べるものぐらいは自分で作る

          農家の息子である自分にとって、農業をすることは当たり前。日常の風景。 東京から戻ってきてからも父親と一緒になって受け継いできた土地を耕している。 田舎で住んでいると「自分のものは自分で作る」という気持ちになるから不思議。まあ、実際作れてしまうのだ。 特に農家の場合、農作物の職業自給率は自然と高くなる。正直買った方が楽ではあるのだけれど、僕は自分で作ることに意味があると思っている。 食べ物は自分の体に入るもの。命そのものと言っても過言ではない。 それを他人に握られてい

          自分の食べるものぐらいは自分で作る

          GWの過ごし方

          GW最終日。今年は久しぶりのコロナ制限なし、しかも人によっては10連休と、メディアを見ている限りはなかなかの賑やかっぷり。 いつまでも引きこもっていてもしゃあないしね。何かと思いニュースが多い中で、楽しいこともないとやっとられませんわ。 対して僕はというと、ずっと仕事をしておりました。 今年で働き始めて15年になるが、社会人になってからゴールデンウィークにちゃんと休むみたいなことをした記憶が、ない。新卒はゴリゴリのアニメ制作会社。転職して飲食店。そして今はフリーランス。

          新年のご挨拶と2021年の振り返り

          あけましておめでとうございます🌅 昨年は法人化したり、コワーキングスペースを作ったりと、新しいことに挑戦し続けた1年間。 たくさんの人にお世話になり、そしてご迷惑もかけ、なんとか1年間を切り抜けました。 本当にありがとうございます! あまりにいろいろありすぎて、全部振り返っているとキリがない。 ということでシンプルに、2021年に起こったことを数字でまとめてみました。 ⭐️数字で振り返る2021年の活動記録⭐️ ・泉佐野に来てくれた人たち 100人以上 ・移住した人たち(

          新年のご挨拶と2021年の振り返り

          「いなフリ」にまつわる5年分の出来事を本音とともに振り返る

          特に誰かに聞いたワケではないんだけど、いなフリ卒業生の中で最も田舎フリーランスをやっているのは自分だと思っている。異論は認めますが聞きません。めんどくさいので。 今の自分があるのは間違いなくいなフリのおかげ。「いなフリ」のすべてを味わい尽くした結果が現状であると言っても過言ではない。 僕と「いなフリ」の関係は大きく分けて3つのステージがある。 【1】いなフリ受講前「会社員やりながらの週末フリーランス」 【2】いなフリ受講〜フリーランス1年目「個人で稼ぐ基礎の習得と実践

          「いなフリ」にまつわる5年分の出来事を本音とともに振り返る

          ほどらで社長日記「消耗せずに成果を出す働き方」

          駆け出しフリーランスあるある。思っていた以上に仕事量が多くてパンクしてしまう。 フリーランスとして仕事がうまくいきはじめると、継続案件も増えるし、営業もしやすくなる。そうすると自然に仕事時間も増えてしまうんですよね。 特に駆け出しの頃はいつ仕事がなくなるか分からないので、案件を多く抱えてしまいがち。気付けば睡眠時間を削らないと納品が間に合わないみたいな状況に。僕も1年目の頃は、複数の案件の締め切りが同じ日になってしまい徹夜して終わらせるみたいなことがありました。 基本的

          ほどらで社長日記「消耗せずに成果を出す働き方」

          ほどらで社長日記「ゴールが決まらないとどこにも行けない」

          よく「会社員をやめてフリーランスになろうと思うのですが?」とか「学校を卒業したら就職せずにフリーランスになろうと思うのですが?」と聞かれます。 答えはいつも決まっていて「ゴールはどこですか?自分のやりたいことができるなら、それが正解」です。 僕自身、会社員を11年やって、フリーランスを2年。今は会社経営をやっています。それはなろうと思ってなったというより、自分の理想のスタイルを模索しているうちに結果的になってしまった、みたいな感覚。 「会社員がダメ、フリーランスが最高」

          ほどらで社長日記「ゴールが決まらないとどこにも行けない」

          ほどらで社長日記「平凡な会社員が35歳から未経験でフリーランスになった話」

          今でこそフリーランスや経営者としてWebを中心にした仕事をしていますが、3年前までは東京の飲食店で働いていました。 飲食の仕事は好きで選んだもの。やりがいも感じていたし、環境や仲間にも恵まれ10年近く充実した時間を過ごさせてもらいました。しかし、30歳を過ぎたあたりから少しずつ不安も感じるように。店長として期待された結果が残せず、それどころか迷惑をかけまくり。正直、お世辞にもできる社員ではなかったです。そんな僕を見捨てずにいてくれた当時の社長や上司には今でも感謝しかありませ

          ほどらで社長日記「平凡な会社員が35歳から未経験でフリーランスになった話」

          ほどらで社長日記「基礎になるのはライティング」

          ブログから始まり、ライター、サイト制作、動画編集と一通りのスキルを渡り歩いてきた僕だけど、結局1番基礎になっているのはライティングのスキル。別に記事を書いて稼ぐとかいう話じゃない。何かを始めようと、文章を書いて誰かに自分の考えを伝えるという行為が必須になるからだ。 特にリモートやテレワークが増えると、コミュニケーションの9割くらいは文字でのやりとりになる。そこで求められるのは、整った文章を書くというより、いかに伝わる文章を書くか。意味だけでなくビジュアル的にもぱっと見て頭に

          ほどらで社長日記「基礎になるのはライティング」

          ほどらで社長日記「コーチングを受けてみた」

          コーチングというものを初めて受けた。 個人的には一度体調を崩した時に真剣に人生を見直した時期があって、病院で専門の検査を受けたり、自己理解系の本を読みあさったおかげで、かなり自分をコントロールできている方だと思っている。正直、不満もあんまりない。 じゃあなんでわざわざコーチングを受けたかというと、自分だけで出せる答えに飽きてきたからだ。 自己理解ができていると判断に迷ったりやモチベーションの維持などに困ることがなくなる。言い換えると、自分の最適解を導き出すスピードが格段

          ほどらで社長日記「コーチングを受けてみた」

          ほどらで社長日記「機会を演出」

          コワーキングスペースをオープンさせて約2週間が経った。いろいろなことが少しずつ形になってきて大変だけど、毎日楽しい。 昨日は日曜日だったが、多くの人が作業していた。みんなの生活サイクルの中にRocksが組み込まれ始めたのはうれしいよね。 フリーランス仲間だけでなく、近所の人もちらほら訪れてくれる。昨日も見学に来てくれた方がいた。地元で事業をされていて、事務所の移転移転準備中とのことだった。それに合わせてHPやパンフレットを作っていきたい、という話。 そこでたまたま作業し

          ほどらで社長日記「機会を演出」

          ほどらで社長日記「オンとオフのバランス」

          この1年でオンラインでのコミュニケーションが圧倒的に増えた感じがあるよね。もともと家でずっと作業するタイプの僕からしたら願ったり叶ったり。打ち合わせのためにいちいち外出しなければいけなかったのが、あちらの方からオンラインでやりましょうなんて言ってくれたりする。最高やんか。 とはいえ、オンラインばかりになってしまうとそれはそれでなんか物足りなく感じてしまう。先月は1ヶ月の合宿をやっていて、11人の生徒さんと毎日のように顔を合わせ、文字通り膝を突き合わせるレベルでガッツリ向かい

          ほどらで社長日記「オンとオフのバランス」