人に優しく
ADHDだと診断を受けて、情報収拾のためにSNSで発信を始めて20日ほどがたった。発達障害という未知の存在は恐怖でしかない。何の知識もない上に、思ってもみなかった展開に不安しかなかった状況で、SNSは強い味方だった。
誰からも理解されずにどうしてよいかわからない僕は、同じ悩みを持ちながらも懸命に生きようとしている人たちに出会った。正直、表に現れていないだけで、発達障害で悩んでいる人はめちゃめちゃいるのだ。本名も素顔もわからないSNSのアイコン同士の奇妙な連帯感が折れかけていた心を支えてくれた。
情報収拾と同時に、自分が瞬間瞬間に感じたことなんかもひたすら発信し続けた。自分自身を理解するには頭の中で考えるのではなく、とにかく吐き出して客観的に観察する方が早いと考えたからだ。
発信をやり続けていると少しずつ反応が返ってくるようになった。共感だったり意見だったり色々あったが、自分だけで考えるより誰からの反応をもらいながら考える方が障害への理解は早くなったのは確実だ。
結果的に1ヶ月も経たないうちに、仕事場に行く恐怖で動けなくなってしまう最悪な状況を脱することができた。まだ完全に復活したわけではないけれど、ADHDである自分を受け入れることはできてきた気がする。
そして今日、SNSで出会った人から相談の連絡をもらった。ADHD診断を受けて1ヶ月の人間に何のアドバイスができるのかとは思ったが、自分の経験を話すことぐらいはできる。その人は僕と同じ飲食業で働いていたから話せることも多いはずだ。
まずは素直に思っていることを話してもらって、その上で現時点で考えられる全力の返答をしたつもり。元になっているのは僕が今まで経験したことと、ここ1ヶ月で勉強したこと。途中で休憩を挟みつつも、半日以上メッセージのやり取りを重ねた。
時間はかかったが、最後は前向きな気持ちになってくれたようで一安心。誰かを救ったとかだいそれたことは思わないが、背中を押すことぐらいはできたんやないかと。そしたらふと、Twitterアカウントを作って1番始めに呟いた言葉を思い出した。
この言葉はADHDの診断を受けてすぐに思ったことだ。診断を受けてすぐ親友にすべてを打ち開けたら、当たり前のように受け入れてくれた。もしその人に否定されていたらその時点で僕の心はバッキバキに折れていたに違いない。
別に何かすごい解決法をもらったわけではない。ただ、ありのままに受け入れてくれただけで救われたんだった。
「人に優しく」って、そんな簡単なもんじゃないよ。
でもそんなちょっとした優しさが何よりもありがたかった。だからもし自分が逆の立場になったら同じようにありたい、そう思った。これはもう僕がこの障害に向き合う時のスタンスと言ってもいい。「人に優しく」とは「自分に優しく、他人に優しく」
優しさっていうのは誠実に向き合うことであり、嘘偽りなく素直に相手と接すること。発達障害で辛いことも多いけど、発達障害のおかげで出会った人もいるし、共感し力になることができた。そうなると、あながち発達障害も悪いことばかりじゃないなぁと思えてきたりもするんです。
失ったものも多いし、これから捨てるざるを得ないことも出てくるはず。それでも今の僕だからこそわかること、できることを大切にしたい。そこにこそ、新しい自分の価値を見出せるんじゃないか。そういう風に考えられるようになってきた。
これからも質問や相談なんかがあれば可能な限り答えていくつもり。それが誰かのためになって、自分を理解することにもつながるのならこんなうれしいことはないよね。興味ある方は遠慮なくご連絡ください。
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