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農村にも文化は存在した……?

以前の記事で『農村には文化が無い!』という内容を書いたのだが、その自分の認識が見事に覆された。
しかもそれだけではなく、ある意味イベントにおける理想像のようなものが垣間見えたので、記録しておこう。

▶農村イベントの多様性

先日、地元の社会福祉協議会主催のチャリティーイベントに参加してカラオケを披露してきた。
そこで実感したのが『意外にも農村にはたくさんの文化が存在していたのだ!』ということだった。

というのも、正直地元の高齢者たちが集まるチャリティーイベント……というイメージだけで大体想像できるな~と思っていたら、まあまあ立派な町民センターのステージを使い、100人ぐらいが集まって町民たちの手習い事を発表する、という催しだったのだ。

その手習い事のラインナップがなかなかバラエティーに富んでおり、

  • カラオケ

  • 子供たちのダンス

  • 大正琴

  • 日舞

  • 剣舞

などが存在していた。……え?結構多くない?

▶文化は農村に存在した

しかもその中でも割合の多かった、普通のカラオケを発表する人々の服装が『ガチ着物』を着ていたのである……!

何だこの異界は。人口5000人以下の町の文化ではないぞ。

このようなカルチャーショックを経て、改めて大広間の後ろの方で、熱唱するじいさんばあさんの歌(決して上手な人ばかりではない)を聴いていると、冒頭に書いた通り、自分の『農村には文化はない』という認識は覆されたのだ。

▶農村に文化が反映していた頃

そこで私は理解した。農村に文化が無いのではなく、正確に言うと、『農村の文化は昭和で止まってしまった』のだ。

バブル以降のあの世代には、間違いなく文化が浸透していた。その結果がこれらの『手習い事』であり、豪勢な着物、そして立派な建物とホールだったのだ。

しかしそれ以降、残念ながら人口流出と共に過疎化が始まり、そこから文化は止まってしまった。若者が都会へ出て行くのと共に、新しい文化も都会で広まってしまい、決して農村には届くことはなかったのだ……。

▶農村の文化イベントが続く理由

そしてもう一つ。
こんな『傍から見たら、ただの農村の寂れたイベント』だが、それが今でもずっと続いているというその理由が理解できた。

それは、参加者がメインのイベントだからだ。

よくある冴えないイベントだと、中途半端な芸能人を呼び、それによってメインのイベントが決定され、人を集めるという場合が多い。
しかしそれだと、その芸能人が目当ての人のみしか集まらず、(多くの場合はステージイベントのため)イベントが終わると、皆帰ってしまうことになる。

だが集客のためのイベントであり、芸能人なのだが、大体予算的に一流の人は呼べないので、知名度的にも中途半端になる。
そうなると、一体何のためにそのイベントを行うのか?という部分に矛盾が生じることになり、結局、全てが中途半端で予算だけがそこそこかかる、という催しになりがちなのである。

実際、それで天候の影響などで大失敗したイベントもあり、その赤字を埋めるために大変になった自治体の例もあった。

しかし今回のイベントの場合、そもそも芸能人など呼ばず、ステージの出演者は一般市民である自分たちなのだ。コストがかかりようもない。
さらに、自分たちや知り合いの人々が着飾ってステージ上で芸を披露するというのだ。それは見に行かざるを得ないだろう……!

ということで、全然コストをかけずに参加者を確保できるイベントの形態、それが参加者主体のイベントであり、長く続いている理由なのだろう。
本来は、こうした祭りが行われ、ずっと続くべきなのだろうがねぇ……。

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