幸福度とは伸び率である
幸福度を計る方法を長年考えてきたが、ここでようやくその方法が分かった。
それは、『幸福度とは伸び率である』という事である。
但し、この伸び率とは特定のパラメータを示すのではない。
各個人によって、何に最も価値を感じるのか……?という部分が異なるからだ。
例えば、分かりやすい人は経済資産の多さだろう。しかし、そこに価値を見出さない人もいる。
ちなみに私は『自由であること』をその基準として考えている。
例えば人より人脈が多く、数多い友人に囲まれていることに価値を感じる人もいれば、特定の人間に評価されることに価値を感じる人がいたり、誰よりも知識を持っていることに幸福を感じる人もいるかもしれない。
しかし、このどれにも当てはまることは、「その重要視している価値の伸び率が幸福度を表している」のではないか?ということだ。
例えば、分かりやすくお金で考えることにしよう。
昨日よりも、今日のお金が10倍に増えていたら嬉しいだろう。しかし半分に減っていたら悲しい。これはまあ単純だ。
しかし、そのお金が明日5倍に増えたとしたらどうか?……さらに、その次の日は2倍だったとしたらどうだろう?
資産は増えているはずなのに、なぜか伸び悩んでいる気がして不安にならないだろうか?
この時、資産の量ではなく伸び率を基準に考えてみると納得できる。
伸び率は10→5→2と下がっているからだ。
この場合、資産は増えているにも関わらず、その幸福度は下がるといった状況が起こる。
当然、逆の場合にも同じことが言えるのではないかと思う。
資産がマイナスになっていたとしても、その負債の伸び率が10→5→2と変わっていた場合、負債が増えていたとしても、体感的にはその伸び率が減っているため、良くなっているように感じて幸福度は上がるのでは無いだろうか?
このように、幸福度と伸び率は非常に相関関係が深いような気がする。
そして、伸び率が幸福度の基準になるということは、それを最大化しようと思うと、できるだけ『基準を下げれば』いい。
下限値が低くなることによって、その後の伸び率はかなり高くなることは保証しよう。
例えば、山を開拓して村作りをしようとしていたら、平らな地面がありがたくなるし、薪でドラム缶にお湯を沸かして風呂に入っていたら、電気給湯器がありがたくなるし、まあそういうことだ。
これが私が農村暮らしを薦める理由であり、実際その原始的な部分から先端の暮らしまでを体感できるのが農村のいい所だ。伸び率で言うと、都会なんかよりも遥かに伸び代は大きい。
そして今回の話が何を意味しているかというと、人間なんてのは実にいい加減な価値観を持っているということだ。昨日よりも今日の方が良ければ幸福を感じるし、今日よりも明日の方が良さそうであれば、さらに幸せだということだ。
「希望」を感じられるのは人間の生きる本能なのではないかと思っていたが、どうやらそれはこの「伸び率」と関わっていそうな気もする。
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