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スピリチュアルというけれど

なんだかかけずり回っている間に、
すっかりご無沙汰になっていたこちら。
先日友達と話をした時のこと。
マヤ文明というのは、すべての物事に
「生」と「死」をみていて、
死というのは生の変態、つまり形が変わった状態なのではないか、
ということを話題にした。
これは彼らが残したものからわかっていることで、
何も怪しい話ではない。
マヤの人々の世界はそうやって成り立っている。
そんなふうに「死」を捉えることができたならば、
世界はまったく違って見えるはずだ。
まあこれは、自分が死に晒されていない人間の妄想だと言われたら、
それまでなのだけれど。
でも、今のように科学も医療も発達していない世界で、
「死」をどうやって捉え、乗り越えていこうか、
考えた末に出てきた世界観なのだと思う。
私は日本人だけれど、そうやって生きていければなと思うし、
生きてみたいと思う。

先日、自分のよき理解者を亡くした。
思っていた以上に大切な人だったのだと、
亡くなったと聞かされた後の自分の涙の量で初めて思い知った。
そんな時、その人がマヤの世界を知ると死生観が変わると話していたと知って、
どこか救われた気持ちになった。
こういう話をするとスピリチュアル的に言われることがあるけれど、
まったくそういう話ではない。
人が生きていく為に必要なことなのだと思っている。


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