慌ただしい夏の終わり
こんにちは、いとさんです。
8月の終わり。
それまで私はものすごい緊張感と不安に苛まれた日々を送っておりました。アルゼンチンから日本に外国人が入国する為には様々な手続きが必要でした。入国ビザ、経由地で提示する為のワクチン接種証明、そしてPCR検査。日本語で書かれているはずなのに難解な入国必須条件を読み込んで、スペイン語に訳してアルゼンチンにいるパートナーの彼に伝える。自分の理解が間違っていたら、彼が入国できない事態になってしまうと思うと、何度も何度も間違っていないか確認することになりました。私の周りにはその方面の有識者や経験者がいませんでしたので、誰に相談できるわけでもなく、たった一人で戦っているような気持ちになっていきました。
早々と情報収集に取り掛かり、十分な準備期間があったにも関わらず、刻一刻と変化する情勢に合わせて変更されていくルールに翻弄され、何に急かされるわけでもないのに、毎日追われているような気持ちでした。いつも何か大事なことを忘れているような気がして心が落ち着かない。不安だということに支配されて目の前の問題をしっかり捉えられていない。それを自覚してまた焦る。といったような負の連鎖の中で一人息が出来ずにもがいていました。
ましてや今回はこちら側がホストになるので、短い滞在期間の間になるべくたくさんの日本を紹介して、彼に興味を持ってもらいたい!と頼まれもしないのに観光大使のような任務まで自分に課していたものですから、余計にあたふたしていたのかもしれません。そんなことで私がナーバスになっているなどとは、きっと彼は想像もしていなかったと思いますが、ある日いつものように彼と電話で話していましたら、「僕がそっちに着いたら、一緒に先のことを考えようね。」とさらっと言われたことで、今まで独りよがりだった自分にふと気がつきました。先のこととは将来のことではなく、日本で過ごす1ヶ月半の計画のことで、それを聞いた時、私は在日アルゼンチン大使館で聞いた言葉を思い出していました。
長期ビザを取得する為、東京の元麻布にある大使館で面接を受けていた時のこと、少しクセのある担当の女性と簡単な質疑応答をしていましたら、話は途中から彼女の仕事に関する内容に変わっていきました。具体的な話はありませんが、いかに彼女が仕事で苦労しているのかということを聞かされていて、「日本人はいいのよ、ちゃんと調べて準備してから向こうに行くから。でもアルゼンチン人は何にも準備しないでこっちに来てしまうから大変なのよ。」と仰っていたものですから、まだアルゼンチンという国をよく知らなかった当時の私は、自分が想像していた南米の国のイメージがそのままだったので可笑しくその話を聞いていました。
確かに、海外では勝手が違うことが多いですから、多くの日本人は事前にいろんなことを調べて備えると思います。日本では予定にないことは受け入れてもらえないことが多いですし、なんでも予約や事前確認が必要です。ところが向こうにしばらく住んでみて感じましたが、アルゼンチンの人達からしてみれば、「予定は未定」といったようで、あまり重要視されていないようでした。ある程度のことであればその場で対応してもらえることが多いので(時にはすごく待つこともありますが)、何とかなる。きっとその感覚で日本にやってきてしまったばかりに、困っているアルゼンチン人が多いのではないかなと思えます。
しかしながら、見えないものに追われていた私はそんなアルゼンチン人の楽天的な考え方に救われたようです。こっちに彼が着いてから一緒に考えればいい。2人のことだから2人で決めればいいのだと思うとすっかり気持ちが楽になって、日本観光大使になる野望は手放しておくことにしました。
アルゼンチンでは既に空港でのPCR検査が不要になって空港内の検査場が撤去されてしまった為に、街中で検査をしているところを探さなければなりませんでした。こればっかりは何とかなる精神ではどうにもなりませんので、色々と彼が現地で下調べをしていました。日本が陰性証明書に記載を求めている項目を反映させてくれる検査所を見つけ、事前予約をしました。
検査を無事に受けたと彼から連絡を受けた頃、地球の裏側にいる私はすっかり夢の中でした。翌朝、追われるように身支度を済ませて家を飛び出し、たくさんの人たちと一緒に電車に揺られながらそのメッセージを読みました。当日中に結果が出ると聞いていましたが、なかなか続報がありませんでした。「きっと陰性だから大丈夫、問題ないよ」とお互い言い合ってその時を待ちました。
「negativo(陰性)」と書かれた書類が添付されてきた時にようやく息ができたような気持ちになりましたが、これからが本番です。用意した書類がちゃんと入国審査の時に受理されるかどうか、乗り継ぎはうまくいくか、まだまだ心配事は尽きず、彼が家族に見送られてエセイサ空港を出発する日には正直ヘロヘロになっていました。
準備だけでこの状態でしたから、その後の計画を立てていない二人は当然四苦八苦することになりましたが、それはいずれまた。
いとさん