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おっぱいは、いらない。

最近、痩せてしまった。
「しまった」という表現をすると嫌味に聞こえるという人もいるかもしれないが、それはどこに理想を置くかで変わる。わたしの場合は、痩せることが不健康な証であるのであまり自分としては良しとしていない。それにみんなが憧れている(?)モデル体型に近づくような痩せではなく、身体がすり減る感じの痩せである。

元々わたしは上半身にお肉がつかない体質で、ウエストはくびれていて鎖骨もくっきりだが、姿勢が悪いのでぽっこりお腹だし、肋骨は浮いていておっぱいもない。おまけにスマホっ首からの二重顎で、首から上は卵ちゃんと呼ばれるほどの見事な球体の丸顔だ。身長も158cmだが猫背のせいでもっと小さく見られるし、全くスタイルが良いと言われるタイプではない。
でも個人的には、そんなのどうでもいい。世間にあるメジャーで自分を測ることほど無意味なことはないと思って生きている。ルッキズムに興味がなさすぎる。
というのも、わたしは他人がどんなに容姿を褒めてくれても、調子に乗れない。ひととき嬉しい気持ちになれても、すぐにただのお世辞だとか何か裏があるかもとか考えてしまう。結局自分の体型において満足感を持てるかどうかは、自分が納得できているかどうかで他人の評価は関係ない。

それと、そもそも世間の多くの人が良しとしている基準にも疑問がある。
わたしは医学的な身体も女性でマインドも女性だけど、いわゆる「女性らしい身体」には一切憧れない。何を持って女性らしいと定義しているんだ?と不思議にも思っている。
例えば、女性ならば少なからず峰不二子のようなボンキュボンに近づきたいと思っている、みたいな前提がわたしには謎すぎる。わたしは豊満な胸なんかお断りだし、細すぎる腰は不健康に見えるし、お尻はボトムス選びに影響しない程々がいい。
憶測するに動物学的にオスとメスがいて(それは当たり前)、動物としての本能を互いに刺激されるような特徴があって、それがこの不思議なルッキズムの根本にあるのではないかと。つまり、峰不二子みたいな身体は動物のメスとして優秀なのではないかと思う。だから多くの人がそこに惹かれていくのでは。それはきっと人間として正常なことなのだ。
しかし、人間という動物は理性も持ち合わせているがゆえに複雑な進化を遂げてきたのだと思う。それで、種を残すという大筋に則らない同性愛も自然なものとなったし、わたしのようにメスとして優位的な特徴を欲しないメスも誕生してきたわけだ。それは異端ではない、正常の範囲が広がっただけだ。

わたしがパンセクシャルだからかもしれないが、セクシーなものには惹かれずヘルシーなものに魅力を感じる。友達の豊かな胸を触らせてもらったことがあるのだが、エロさよりも母性を感じた。男女問わず、健康的な身体が何より素敵だと思っている。なので、自分の理想もそこにある。正しい姿勢を維持できるだけの各所の筋肉が欲しいとは思うが、おっぱいはいらない。セクシーな自分など気持ち悪さすら感じるほど、生きにくい。
大事なことなのでもう一度書いておくのだが、わたしは身体も心も女性である。男性になりたいわけでもないし、どちらでもない性でもない。ここが、あまり理解してもらえない点である。
わたしのことを分かって共感してほしいのではなく、そういう感覚も普通なんだ、あり得るんだと知識として伝わればいいなと思っている。

余談だが、下着の新調をするときもいつも困っていた。寄せて上げる(ほどないんですけど)なんて微塵も求めてないし、綺麗に見せたいとも思ってない。そんなことよりしっかり守ってくれる、ただそれだけのブラはないものかと。
ここ数年でノンワイヤーなものがスタンダードになりつつあり、かなり有難い。真っ平に補正する必要はないけれど、日常の中で痛くなく心地よく生活できるインナーを身につけたいものである。(自分の小さな手で覆えるくらいの胸しかない私でも、カップ的なものがないと揺れたり擦れたり当たったりしたら痛いし不快だ。)
いろんな感じ方の人がいると世の中に広まれば、出会える商品ひとつとっても変わっていくんだろうなと期待している。

さて、冒頭の話題に戻るとする。
わたしは3食しっかり食べていても痩せてしまう時がある。少食なので一度に食べれる量は平均より少ないが、その分こまめにお腹が減る。なのでおやつなどの間食も度々してしまう。それでも身体は痩せて体重は減る。これはせっかく摂取した栄養が身にならず素通りしているということなので、わたしは不健康サインだと解釈している。(医学的には違うのかもしれないけど、自分のことなので自分の判断でいいかと思っている。)
その変化に気づいた時は、食事の量以外で見直すところがある警告だと捉えて、立ち止まるようにしている。例えば栄養が偏っているのかもと食事の内容を改める、生活リズムの乱れはないか、睡眠はしっかり取れているか、過度なストレスになっていることはないか、など。分かっているようで分かってないのが自分自身のことだったりするので、こういう自問自答はとても大切だと思う。
わたしはゆるくマイペースに生きたい人なのでこれを機に栄養の勉強をする、みたいなストイックさは持ち合わせていない。でも意識を向けるだけで日々の小さな選択が変わって、その積み重ねで「自分」が作られていくと自然と変化していく。その実感はある。
具体的には、栄養の詳しい知識はないので本当は何の要素が足りてないのかを理解していないし、カロリー計算もしない。スーパーに行って買い出しをするときに先週は買わなかったものと旬のものを意識してカゴに入れる、それだけ。仕事でも休みでも、朝起きる時間と夜寝る時間を毎日揃えるようにする。休みの日は、朝日を浴びに早朝ランニングに出かける。どんなにお家が快適で大好きでも、適度に外に出て運動した方がストレス軽減になると、以前お世話になった方から教えてもらったことがあるので実践している。
不健康サインに気づいた時はひとまずこれだけを意識してみている。無理はせずゆるっと簡単に出来ることしかしない主義だ。

世の中にある「理想」とは違うけれど、自分の理想は基準として常に持っていて、そこから大きくずれることのないように、ときには修正しながら生活している。自分のこのペースに満足しているのだが、ふとたまに人と話していて違和感を覚えるのが、この「基準」についてだ。無意識に「理想」を押し付けられてモヤっとする。その度に反面教師、と心の中で呟いて自分は誰かにそういう発言をしないように心掛ける。ついぽろっと決めつけたセリフが出てしまうこともあるが、話の腰を折ってでもすぐに訂正して謝るようにしている。
基本的に体型についてはノーコメント。褒めもしない。それがその人にとって良いことかは分からないから。
誰もが大きくなりたいとか、誰もが軽くなりたいとか、勝手に思い込まないようにするし、その違和感にはキッパリ伝えてみたいとも思う。「あなたの理想がみんなの理想とは限らないよ」と。

男性だからこう、女性だからこう、とは限らない。現にわたしは女性だけど、世の女性像に憧れない。目の前の人もそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。大事なのは、そこに配慮ができるかどうか。
世の中の多数派が「正しい」のではない、支持する人が多いとしてもそれは数ある考え方の一つに過ぎない、そのことをもっと伝えていきたい。

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