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【四谷シモン】人形 立体作品 査定 鑑定 買取 致します


『病院ギャラリー: 717days 2001-2003』は、四谷シモンが2001年10月5日から2003年9月21日までの717日間、愛媛県伊予三島市(現:四国中央市)の廃病院(元・整形外科)を舞台に、人形15体を展示した記録をまとめた写真集です。この展示では、手術室に立つ《解剖学の少年》や病室に幽閉された人形など、廃墟となった病院の空間と人形が融合し、独特の世界観を創り出しました。 AMAZON.CO.JP 写真集には、展示された人形たちの様子が多数の図版で収められており、四谷シモンの独特の美学と廃病院の持つ雰囲気が相まって、幻想的かつ神秘的な空間が記録されています。また、四谷シモン自身の言葉や、写真家・服部英夫の写真を通じて、展示の背景や意図、制作過程なども垣間見ることができます。

◎四谷シモンの芸術

四谷シモン(本名:小林兼光、1944年7月12日生まれ)は、日本の人形作家であり俳優としても知られています。彼の作品は、球体関節人形を中心に独特の美学と哲学を反映しており、日本のアヴァンギャルド芸術シーンにおいて重要な存在となっています。

幼少期から人形制作に興味を持っていた四谷は、10代半ばで人形作家・川崎プッペを訪ね、17歳の時にはぬいぐるみ人形作家・水上雄次の内弟子となりました。その後、新宿のジャズ喫茶に出入りし、金子國義やコシノジュンコらと交流を深めました。歌手のニーナ・シモンを好んでいたことから、「シモン」という愛称がつけられました。

1965年、雑誌『新婦人』に掲載された澁澤龍彦の紹介によるハンス・ベルメールの球体関節人形に衝撃を受け、それまでの人形制作方法を捨て、独学で球体関節人形の制作を始めました。この転機により、彼は新しい人形表現の地平を切り拓くこととなりました。

1967年、金子國義を通じて澁澤龍彦や唐十郎と知り合い、同年5月には唐十郎の状況劇場の芝居「ジョン・シルバー新宿恋しや夜鳴篇」に女形として出演しました。この頃から「四谷シモン」の芸名を使用し、俳優としての活動も展開しました。

1973年、銀座の青木画廊で初の個展「未来と過去のイヴ」を開催し、人形作家としての地位を確立しました。この個展のタイトルは澁澤龍彦によるものです。以降、彼の作品は国内外で高く評価され、日本における球体関節人形の第一人者として知られるようになりました。

1978年には、人形学校「エコール・ド・シモン」を開校し、後進の育成にも力を注いでいます。この学校では、独自の人形制作技法や哲学を伝え、多くの人形作家を輩出しています。

四谷シモンの作品は、精巧な球体関節と独特の美意識を持つ人形であり、その多くは人間の内面や存在を深く探求しています。彼の人形は、単なる美術作品としてだけでなく、人間の心理や哲学を表現する媒体としても評価されています。

彼の作品は、鎌田ミュージアム内の「四谷シモン人形館 淡翁荘」などで展示されており、多くの人々に親しまれています。

華やかな活動の裏側で、幼い頃よりこつこつと続けてきた人形作りを軸に自らの半生を率直に綴った自伝。

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