見出し画像

ダメな自分でもいいや

変わらない私の自信の無さ。
多分、親のせいが少なからずある。
周りの子と比較されたり、周りの子を過剰に褒めたり、うちの子なんか…と卑下されたり。
「私は周りより劣っている。」と自分に言い聞かせては、息苦しくもがいていた。

自信を持つにはどうすればいいか。
承認欲求はなんだかキリがなさそうだ。
そもそも自信とは自分をありのままに受け入られることだから、まず自分のありのままを知らないと。

知るために承認欲求とは別に他人に教えて欲しい。
家族や友人はいけない。
家族はそもそもありのままを見せられないし、私を幼い頃のままだと思ってるだろうから。
友人はお世辞だと思ってしまう。

だから、初めて出会った人にありのままで接して、私がどんな人か教えてくれたらいいのに。

「一期一会って大切だと思うんです。」
喫茶店でモカを飲んでから発した。
相手は自称30代のおじさんだった。

「知らない人だと私とは全然異なる人の知見や、他人の目に映る私を知ることができますから。知り合いだとそのようなことはできない。」
今回お茶を同意した理由を話した。

「本当に19歳とは思えないなぁ笑」
一応ナンパなのでこれこそお世辞なのかもしれないなと今更考えを改める。
それでも、初めての人の意見を聞く価値はあると思い最後まで話をした。

そのおじさんは私の話に沢山耳を傾けてくれて、沢山褒めて貰った。
嬉しくもなく、お世辞だから嫌だと思うことも無く、「そうなんだ。貴方はそう思うのね。」くらいにしか思えなくて、感情が湧き上がらなかった。

わかったのだ。
私は私が大好きだということ。
誰かに自分の魅力を教えてもらわなくても好きだと言いきれる。

では、この漠然とした不安感や自信のなさは何なのだろう。
この課題が消えることなく日々は過ぎていき、カウンセリングの日がやってきた。

「私がどれだけ私を好きでも、周りは私のことを受け入れてくれないと思っています。」

すぐに答えてくれた。
人にはそのような捻れを持っていることがあるということ。
そんな単純なことがずっとわからく、一瞬にしてわかってしまうのだから、他人の話って本当に面白い。

そのような捻れをほどくには、過去の勘違いや思い込みを訂正するのが処方箋である。

私の場合、最初に綴った親によく卑下されたこと。
幼い頃から親に言われることで、自分でも自分を劣っていると思うようになり、きっと周りも「あの子は劣っている」と思ってるんだろうな、とも言われてもないのに思い込んでいた。

確かに私は劣っている。という考えはまだ直らない。
でも、それを苦だと思わなくなっている自分に驚いた。
自分を否定することからいつの間にか抜け出していた。

きっと大切な友達ができて、大切にしてくれたからだろうか。
承認欲求なんていらないって言ったけれど、やっぱりその通りで、最も自分が居て良かったと思う瞬間は「ありがとう」を言われた時だ。
承認欲求より貢献力。
大切にして大切にされるという正のループに救われた。

友人には恐怖を抱かなくなった。
私が今怖いのは赤の他人だ。
赤の他人にも貢献して、優しい人間が思っているよりも多くいることを知りたい。
そして、色んな人と繋がって、色んな知見を得られたらすごく楽しいのだろうなぁ。

自分のことが嫌いになったのを誰かのせいにしてもいい。
それを変えれるのは自分しかいないということは忘れないでいたい。
自分だけが味方でいるとこんなにも正方向にぐんぐん変わっていき、生きていることが楽しくなるんだから。
ダメな自分でもいいや。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?