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いい塩梅で暮らすということ

こんにちは、ことえです。

今日はいい塩梅について書いてみます。
いい塩梅って聞くと、難しいイメージを感じますか?
それとも心地良イメージを感じますか?
「いい塩梅」の捉え方は、きっと人それぞれですよね。

言葉の捉え方、一つで変わる世界があります。
そしていい塩梅がわかるようになると、きっと穏やかに生きやく暮らせるのではないかと思ったので書いてみます。

そもそも塩梅とは、「味加減を程よく整えること(明鏡国語辞典より)」で料理の表現として用います。
梅干しの塩がほど良い加減で整えられているイメージです。
でも塩加減の感じ方は人それぞれ。
「程よく」がなかなか難しかったりするんですよね。

作家の小川糸さんは『食堂カタツムリ』の中で、こんなことを書いていました。主人公が亡き祖母を想って語ったシーンの一部です。

祖母のいう適当とか塩梅という表現は、料理の慣れていない私にはちんぷんかんぷんだった。けれど、じょじょに私にもその意味がわかるようになった。祖母は、ここしかない、というベストの状態を、「適当」や「塩梅」という大らかな言葉で表現したのだ

小川糸『食堂カタツムリ』

私が心惹かれたのは、塩梅には「大らかさ」があるイメージを表現されていたことです。

物語のおばちゃんのように、長年培われてきた中でわかるちょうど良い大らかな塩梅の加減があるのですね。

小川糸さんの、料理の塩梅の表現には、もっと大きな意味が含まれている感じがしていいなと思いましと。

料理から視野を広げた塩梅。

人間関係もちょうど良い塩梅があったりします。

子どもの頃、友達としたケンカも、社会人なったら、やたら滅多に喧嘩なんてしないものです。

それは、私たちは人間関係をずっと学んできて社会の中で、自分と相手との距離感の「良い塩梅」がわかるからです。

自分と相手にとっての良い心地よさってありますよね。

きっとそれが大らかな塩梅なのだと思います。

料理人は毎日料理を作って「良い塩梅」がわかります。

何かしらの仕事を続けていた人は仕事の「良い塩梅」がわかります。

そう考えたとき、人生の良い塩梅はあるのでしょうか?
それとも、長い人生の終わりになってから、自分にとっての良い塩梅がどれくらいのところか気付けるのでしょうか。

私にとって、今のところの良い塩梅は、
ゆったりとした暮らしと、小さなチャレンジをしてみる暮らし。
この間を行き来しながら揺れているのが良い塩梅です。

どちらかに偏っていると、バランスを欠いてきます。
ゆったりとした暮らしばかりだと退屈になってくるし、かといってチャレンジばかりして未来にとらわれていると今を楽しめないな、と思うからです。

おらからさがある塩梅。

人生も、休んでいる期間も、動いている期間もあっても良い。

きっと長い人生を歩んだ後に後ろを振り返ってら、ちょうど良い塩梅になっていると思うのです。

前を歩きながら、後ろを振り返りながら、時には寄り道をしながらゆったりと。

自分にとっての大らかな「塩梅」を感じながら、マイペースに歩んでいけたら良いなと思います。

あなたにとっての毎日が心地よい塩梅になりますように。

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