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健常者だからこそわからない世界観がある

自己中心的な世界で生きていることに気づく。耳が聞こえる人にとって最適化された社会。

オンライン上での会議や会話が増えてきて、ZOOMで字幕機能を付ける取り組みが出てきた。耳で音を拾いづらい人にとっては字幕機能はありがたいもので、そこに気づかないでスルーしてしまう人もいる。

下記は、落合陽一氏の言葉を抜粋して引用したもの。

16〜18世紀までかけて作られた人間は、社会規範的に作られた人間
制度上、男と女で夫婦別姓にはできないとか
制度上、障がい者と健常者に分かれているとか
制度上、両足がついている人で歩きやすい土地になってるとか
制度上、耳が聞こえる人にとって最適化されているとか
そういったものは、自由に人間の形や自由に情報の受け渡しを変えられなかった人類が編み出したもの

なかなか周りに耳が聞こえづらい人がいないので、考える機会が少なかった。音が聞こえる?ものが見えやすい?当たり前が当たり前じゃないのに気づく。

自分が向き合うようになったのは、仕事で耳が聞こえづらい人と接客する機会があってからだ。筆談も初経験だったし、わかりやすく説明しようとした私の姿勢から、私に信頼を置いて頂いたのもほんとに嬉しかった。

ただその日まで、真剣に考えてこなかった自分に悔やむ気持ちを覚えたのは確かである。耳が聞こえづらい、目が見えづらい、歩くのが大変だ。人口減少の危機だからこそ、みんなが動きやすい世の中にしなくてはならないとは思う。誰一人取り残さない気持ち。健常者だからこそわからない世界観がある。多様性とか包摂性の高さを考えたい。


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