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僕とバレンタイン

僕は5人兄弟の4番目、次男である。兄、姉、姉、僕、弟の構成で、兄弟のポジションで言うと「上からは威張られ怒られ、下は末っ子なので威張っちゃダメ!」なので、最悪である。

物心ついた時から怒られて、怒れない、出来ない中間管理職みたいなポジションについたせいか、ビックリするくらいひねくれた性格の子供になっていた。兄や姉、弟はクラスの人気者で学級委員になったり生徒会に入ったりで、要は人気者。対する僕は、小中学校で一度も学級委員や生徒会に選出されたことは無かった。それどころか、クラスの人気者の女子からあらぬ罪をかぶせられ先生に殴られたりすることもしばしば。兄弟の中で唯一、僕だけはクラスの嫌われ者であった。

嫌われ者だった僕なので、イベントフルな日は憂鬱だった。

代表格が、バレンタインデーだ。

小学校6年間、中学校3年間、高校3年間、バレンタインデーのチョコレート獲得数はゼロ。盛っていない。ガチのゼロである。大体、モテたことが無いうえに嫌われ者だったのだから、そりゃそうだなのだ。

チョコレートを貰えないくせに、誕生日が近いせいか自意識が高かったせいか小学校3年生くらいから学生生活におけるバレンタインデーの記憶はうっすらと残っていてる。今日は、その中でも飛び切りヒドイものをお話したい。


小学校4年生のバレンタインデー。学校まで約2キロの道のりを、一つ上の姉と2つ下の弟と歩く。姉のランドセルにはチョコレートが入っている。弟は憎たらしいことに余裕綽々。僕は憂鬱だ。過去3年間、周りの男子はどんな形でもチョコレートを貰っているのに、僕は撃沈し続けていた。モテない嫌われ者の僕でも、登校中、やっぱり下駄箱に淡く甘い期待を抱いてしまう。

学校につく。下駄箱を覗く。上履き以外、何も入っていない。

クラスで一番モテる、山本君の下駄箱には3,4個のチョコレートの箱が入っている。他の男子の下駄箱にもチョコレートがちらほら。

とはいえ、まだ希望はある。教室の机だ。小学校の校舎の階段を登りながら、机、机、と薄まっていく淡い奇跡を信じて廊下を歩く。教室に入り、自分の机に、何も気にしてないよ!な体で近づく。この時、心臓はバクバクしているのである。今考えると、かなり哀れだ。

当然のように、放置してある教科書しか入っていない。

クラスは先生が来る前にチョコを渡す積極的な女子のエネルギーや、チョコくれよーとおどけながらせがむお調子者だけど人気者の声が弾んでいてお祭り騒ぎだ。僕は、何が祭られているか分からない異国の人状態。いつも通り席に着き、いつも通り、マンガのストーリーをノートに書き連ねていた。

とはいえ、パート2。授業と授業の間の休み時間がある。10分の短い時間の中でチョコレートを貰えたら、それは素敵過ぎて放送室に駆け込み、チョコレートを貰えた喜びの実況中継してしまうかもしれない。そんな想像をしながら4回のチャンスをじっと席で待つ。僕には、何も起こらない。

とはいえ、パート3。給食明けの昼休みがある。ここで、告白と一緒にチョコレートを、という劇的な逆転劇があるかもしれない。何より、30分という時間は告白には十分な時間だ。普段は嫌いと言っていても、本当は好きという女子がいるかもしれない。もう、ここまで来ると救いようがないのだが、女子を意識しだした4年生、5年生の頃は本気で逆転があるとどこか信じていた。結局、信じるものは救われないのであるが。

とはいえ、パート4。放課後がある。放課後まで来ると、家族、特に兄弟に対する見栄が頭をもたげてくる。告白じゃなくてもいいので、本命じゃなくてもいいので、義理でいいので、ハートのチョコ、いや、セコイヤチョコレートやチョコバット、何ならチョコレート味の飴でも良いから、何でもいいから何かくれ、ください!状態になっている。ホームルームが終わり、女子のチョコレートプレゼント大会が本格化し、帰ろうとする男子を呼び止めて、ある女子はマジ告白、ある女子は友愛の印としてチョコを渡す。僕は、それを横目で見ているだけ。誰も寄ってこない。じっと席に居るのもとても恥ずかしいので、用も無いのに図書室に行って時間を稼いでまた教室に戻る。その頃には大会は終了していて、熱波の余韻しかない。僕の机の中は、相変わらず教科書と絶望しか入っていない。

ここまで来ると、帰りの下駄箱に期待しても無駄という事が流石に分かる。

バレンタインデーは家に帰りたくない。兄や弟がモテるからだ。弟は小学一年生でチョコレートを貰ってきた。兄は高校一年生からバレー部のエースなので言わずもがな。

家に向かって歩く一歩一歩の幅が狭い。わざと公園に立ち寄ったりして遠回りしたりする。遠回りした公園でも、同級生がチョコの話で盛り上がっていたりするから堪らない、キツい。

家に帰ると母親が夕飯の準備をしている。育ち盛りの5人兄弟の夕飯、その量は膨大。いちいち一人の子供だけに関わっている訳にはいかない。何も聞いてこない母は、僕にとっては救いであった。

弟は帰って来ていて、ニヤニヤしながらチョコレートを見せつけてくる。どうせ義理チョコだろ!という憎まれ口すら出ない。だって貰ってないから、チョコレート。頭にくる。むかつく。かといってむやみに殴ったりすると、弟を溺愛する父や兄からボコボコにされるのが分かっているので手出しが出来ない。鬱屈としながら居間のテレビでアニメを見ていると、電話が鳴る。父は仕事、母は家事、兄と姉二人はは部活。こんな時は僕が電話に出る。電話の相手は女の子で、いきなり弟の名前を言って、居ますか?と聞いてくる。嫌な予感しかしない。弟に電話を替わる。何やら話し込む弟を見ていると、耳が赤くなっているのが分かる。ああ、決定打。電話を切ると、告白されたことを自慢してくる。

暫くして、また電話が鳴る。今度も女の子。僕宛ではない。弟だ。デジャブなのかというぐらい、電話で話をしている弟の耳は赤い。僕の心は灰色だ。電話を切った弟は、どうしよう、また告白されちゃったよ~!と恥ずかしがるフリをしてあからさまに勝利宣言をしてくる。

我慢我慢我慢我慢……無理だ!ぶっとばしてやる!!と思ったまさにその時に、兄が帰ってきた。片手には大きな紙袋。中には大きな手作りのハート型チョコレートが入っている。通学用のバックの中には、いくつものチョコレート。僕の憧れのチョコレート。兄と弟は、バレンタインの戦果を自慢し合っている。僕は戦うことも出来ず白旗だけを無言で振っている。

夕ご飯が終わり、兄弟姉妹勢ぞろいでバレンタインについて大盛り上がりになる。母も参加してだ。僕だけじっと黙ってテレビにかじりつく。クイズ番組に集中してバレンタインのモテ世界から逃げようとするが、兄や弟の話が僕をトゲトゲの世界に引き戻す。そこに姉二人が僕だけもらっていないことをせせら笑う。毎年の事なのに、心が苦しい。チョコレートの苦みには全く慣れないものなのである。

ずっと黙って一言もしゃべらず、喋れず、テレビの方向しか見ていない僕を見るに見かねた母が、その時、動く。立ち上がって、仏壇に向かう。何だろう?と思ったその矢先、仏壇のすずを鳴らし

「お義父さん、頂きますね。バレンタインだから、御免なさいね」

と言って、お供え物の明治チョコスナック、きのこの山を手に取って、僕にバレンタイン、おめでとうと言って渡す。爆笑する兄、姉、弟。母の優しさがとても痛い。きのこの山を貰った僕はすぐに2階にある自分の部屋に逃げて、きのこの山を壁に投げつけた。


結局僕がバレンタインデーにチョコレートをまともに貰うのは大学生になってからになる。それまでは、毎年、苦い苦いバレンタインデー。

今の僕が小学生の僕に声をかけるなら、君はちゃんと大学生になったら少しだけモテるよ。安心しなよ、少し遅いだけだよ、言葉も、勉強も、バレンタインも、恋人も、とアドバイスして、ひねくれ具合を少しだけ柔らかにしてあげたいと思ったりする。





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