1月を振り返る
2021.2.3(水)
【事実】
誕生日だった。
トイレにいた僕に、妻が慌てた様子で
「隣の家、火事じゃない?どうしようどうしよう!」
と声をかけてきた。
僕はトイレから出て、どれどれと窓の外を見ると2軒先の家から煙がどんどん出ている。
火事だっ!!
僕もパニックになりつつあった。横で妻がオロオロしている。
僕は自分を落ち着かせようと「こんなときどうするんだっけ」と声に出し、状況を整理しながら外に出た。
火事は、我が家の隣に暮らす、妹夫婦の家の隣。
妹の家から10mも離れていない。
妹と甥は外でオロオロしていた。
消防車が僕らの宅地に入ってくることが予想できたので、妹や近所の車を離れたところに移動するよう指示。
妻には、近所の人に火事が起きていることを伝えるよう指示。
その後、消防へ連絡すると案の定、既にたくさんの連絡が来ているそうだ。
北側の僕らの宅地から挟み撃ちで放水してはどうかと提案して、電話を切った。
近所の人たちが出てきて、消火の準備をし始めた。
昨年、消防の方にお願いして、消火訓練をした成果がここで出るとは思わなかった。
スムーズに準備できたが、既に、消すことのできないほどの火が家を覆っていて、その勢いは強くなっているように感じた。
そして熱い!
消防団のOBと思われる人が、放水する場所を指示している。延焼しないよう隣の家にも水をかけるよう言っている。
僕は少し離れたところからその様子を見ながら、(ちょっと気が引けたが)スマホで動画を撮影した。
(その動画をツイートしたら、即、メディアから問い合わせがあった)
【思考】
あとから思い起こせば、火事の時の判断力は鈍かった。
自分たちが消火活動すべきか迷った。消防団に任せたほうが良いのではないか。でしゃばらないほうが良いのではないか。
放水を始めた70代の近所のおじさんが、代わってほしそうに僕のほうを見たが、「代わります」と言葉はでなかった。
「怖い」とか「嫌だな」といった感情は全くなかったと思うのになぜ。
交代するという考えがその時は出てこなかった。
結局、別の方が放水を代わってくれた。
【感情】
やはり恐怖心があったのか?近づくとかなり熱い。
何かが爆発しているような音がパンパン鳴っている。
近寄らないほうがいい、どうせ火は消えない、そんな思いがあったような気がする。
末っ子が火事を見て怖がっている。
【価値観】
家族を守らなければならない。
うろたえる姿を見せてはいけない。
でしゃばって怪我でもしたら迷惑をかけてしまう。
消防に任せたが無難だ。
そのような価値観があったのかもしれない。
いずれにせよ、僕の近所の方で怪我人は出ず、延焼もなかったから、僕の行動に問題はなかったと思う。
あの時の行動に正解、不正解はないと思う。
そう思いたい。
近所のコミュニティが薄れてきていた時だったが、団結して行動できたことは良かった。
やはり火事は恐ろしい。失うものが多すぎる。