はじめて海外でレッズをみた日
2007年4月。
当時大阪に住んでいた僕は、時間を持てあましていた。3年ちょっと営業マンとして勤務した会社を退職するにあたり、余りに余った有給休暇を消化中。そんな、人生で稀に訪れる長いオフを満喫していたのだった。営業ノルマに追われる生活に終わりが見えて気合いが入ったのかどうかは覚えていないが、珍しく数字目標も達成して報奨金をゲット、払い戻された積立金も合わせ、自由に使えるお金もそれなりに持っていた。
せっかくだから、この時期にしかできないことをしたい。そう思ったとき、僕は当時既に10数年応援していた、生まれ育った地元のプロサッカークラブのスケジュールを目で追っていた。
2007年。浦和レッズが初めてACLを戦った、そして優勝した年である。
アウェイ
僕は1995年から、生まれ育った地元のクラブである浦和レッズを応援している。いろいろあって2000年に大阪で一人暮らしをするようになってからは関西圏のアウェイゲームを中心に足を運びつつ、関東の試合は帰省のタイミングで観戦するというサポーターライフを送っていた。
そこで「サポーターとしてのサッカー観戦はアウェイのほうが楽しい、それも遠ければ遠いほどいい」ということに気付いた。
当たり前だが、スタジアムに来るファン・サポーターはホームのほうが圧倒的に多い。宣伝もしているし、地元民にとってはアクセスも良好。一方でアウェイゲーム観戦に関しては、同じサッカーの試合にも関わらず、ホームの比ではない時間とコストをかけなければいけない。つまり、それだけの情熱を持った人間が集まるということになる。
そんな連中で構成されたゴール裏は、ひと言で表すなら「純度が高い」。より熱狂的な、言い方を変えればぶっ飛んだやつらばっかりなので、数こそホームよりは少ないものの精鋭集団になっているのである。そして距離が遠くなればなるほど、精鋭部隊の純度は増す。浦和在住時も国立や等々力、三ツ沢などのアウェイは経験していたけど、関西のスタジアムに行ったときにそれを肌で感じることができた。
海外
初めて海外に行ったのは、勤めていた会社の社員旅行だった。学生時代に尋常でない英語アレルギーがあり、海外に対しては抵抗感しかなかったのだけど、実際に行ってみたら、拙い英語を使ってコミュニケーションを取ることにすごくワクワクした。非日常というか、今風に言えば異世界感というか。同じ地球の上にはこれほどまでに違う世界が広がっているのかと興奮を憶え、いつかは自分でも海外に行ってみたいと思うようになっていた。
初めて自分の意志で行く海外。その目的が大好きな浦和レッズのアウェイゲームだったら、どんなに素晴らしいだろう。
そんな僕の目に入ってきた、一つの日程。
2007年4月25日 上海申花 - 浦和レッズ 上海浦東源深体育場
サポーター仲間にコンタクトを取り、チケットを入手できることを確認。すぐに旅行代理店に向かい、上海行きの航空券と宿を手配した。せっかく行くのだからと、ACL仕様のレプリカユニフォームも買った。
一切の迷いはなかった。
上海
当時の上海は北京五輪前で、大気汚染が社会問題になっていたと記憶している。実際、空は晴れているのに煙っていた。
試合当日、仲間と別の場所のホテルで合流し、アウェイのチケットを入手。ちなみにホテルにはレッズの選手が宿泊していて、選手も何人か見かけてテンションが上がった。そこから歩いてスタジアムへと向かう。道すがら、お腹が減ったということでランチ。お店に入ると、店員が日本円で2000円くらいするメニューをたくさん勧めてきたが、別に安いものでいいということで、表の看板に出ていた180円くらいの麺料理を注文する。すると露骨に店員の態度が変わり、お客さんが他にいなかったこともあって、食事をする我々の横で床のモップ掛けを始めた。日本ではあり得ない光景だと思うのだけど、それも海外らしくていいなと思った。麺はなんだかよく分からない分厚い肉が入っていて、それなりにおいしかった。
食事を終えて店を出て10分ほど歩くと、スタジアムが見えてきた。そこには、一人ひとりは名前も知らない、だけど自分と同じ魂を持っている真っ赤なバカヤロウどもが群れを成していた。
異国のスタジアムで
スタジアムは当然ながら中国語だらけ。でも、スタンドで自分の周りにいる人たちは、日本全国、いやもしかしたら世界中のどこにでも駆けつけるかもしれない、まごうことなきレッズのサポーターだった。どこかで見た顔が、いくつもあった。
文字すら読めない異国のスタジアムに、日本で幾度となく応援してきた、見慣れたユニフォームの選手たちが姿を現す。彼らを見て、まだウォーミングアップでしかないのに、不思議と涙がこみ上げてきた。それは間違いなく、海を渡ってアジアへと乗り出した俺たちの戦いである。
試合は0-0のまま進み、後半30分すぎに山田暢久が2枚目のイエローカードをもらって退場。スローイン時に遅延行為を取られたようだが、その不可解さと退場に喜ぶ地元ファンの姿に、自分を含むレッズのサポーターたちが気色ばむ。直後に上海の選手のラフプレーで味方が傷んだ。怒号が飛び交う中で、それをかき消すようにチャントが響いた。
PRIDE OF URAWA
選手たちは自分たちよりもしんどい思いをしながらチームのために戦っている。ここに来たくても来られなかった仲間たちがいる。じゃあ、今できることはなにか。怒ることではなく、選手を後押しすることだろう。そんな思いが詰まったチャントだったように思う。涙を流しながら、声をからしながら、叫ぶように歌っていた。
試合は最後にチャンスこそあったもののスコアレスドロー、レッズは勝ち点1を得た。当時のACLはグループ1位しか決勝トーナメントに出られなかったが、レッズは勝ち点1差でオーストラリアのシドニーFCを退けトーナメントに勝ち上がり、ACL初出場初優勝の偉業を成し遂げた。
レッズのアジアに対するこだわりは、このときの戦いが原体験として根付いているからだと僕は解釈している。
サポーターよ、海を渡ろう
僕が得た感動と興奮は、後にACLを見るためにバンコクへ、そしてワールドカップを見るためにブラジルへと飛んだ、自分の人生の礎となった。諸事情により今ではスタンドから離れたところでレッズを応援している身ではあるが、今、スタンドで声や手拍子でチームをサポートしている人たちには、心からこの言葉を伝えたい。
サポーターよ、海を渡ろう。
たったの2回だけど、僕はレッズを応援するために海を渡った。そして、人生観が変わる経験をした。愛するクラブが異国の地で戦う姿を応援できる感動は、ACL出場クラブのサポーターしか味わえないものだ。これからまたACLが始まるけれど、レッズはもちろん、F・マリノス、フロンターレ、そしてヴァンフォーレのサポーターの方には、ぜひ海を渡り、アジアのスタジアムでチームに声援を送ってほしい。
仕事やお金、いろいろな事情があるのは分かるし、行けない人を否定するつもりは全くない。けれども、万難を排してたどり着いた先に日本では味わえないような感動が待っているのも、僕は疑いようのない事実だと思っている。そしてそれを、サポーターと呼ばれる人たちにはぜひ感じてほしいのだ。サッカーを愛する、大好きなチームを応援する仲間として。