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カート・コバーンから見る芸人論の話
ロックの核心は反体制、反権力だ。成功した俺にもうロックは歌えない。聴衆を誰一人ごまかしたくない。こんなはずじゃなかった。成功したから俺は死ぬ。
カート・コバーンというスター
ニルヴァーナというロックバンドのボーカル兼ギターで27歳という若さでこの世を去ったスーパースター。
僕はニルヴァーナを聞かないけどカートのことが好きなので、そのカートの発言に基づく芸人論の話ができればなと思う。
かっこいいしセクシーだしロックだし最高。
前書きとしてこの記事読んでくれたら理解しやすいです。
カートのブランディング
こういうと怒るファンが多いのだが、カートは「キャラクター」であり、本来のカートとメディアのカートは違う。
あれは「ロックスターのカート・コバーン」をブランディングしている。
あらゆるレコード会社に「僕らを起用してください」と売り込みしていたのに、メディアでは「やりたいことやっていたら売れた」というスタンスで爆発的な人気を得たことから、本当にブランディングもプロだったんだなと分かる。
その表裏を踏まえてカートの名言と芸人の姿勢を照らし合わせてみる。
「他の誰かになりたがることは、自分らしさの無駄遣いだ」
これは単純でわかりやすいのだが芸人の根源は自身の狂気性だと考える。
どんなに大衆受けに走ろうが、上からの指示に従おうが、相方とのパワーバランスで決められようが、個の内なる狂気を鎮めることは悪手で、絶対的な武器になるものを手放してはいけないし、それは研ぎ澄まさなければならない。
「他の誰かになる」ということは一般大衆が求めているアイドル像であり芸人が売れるための手軽な方法なのだが、そこで内面まで大衆のアイドルになる必要はない。
自分らしさを殺しているならば自覚しなければならないし、いつでも自分をさらけ出せる準備を怠ることはいけない。
他にも「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がいい」と言う言葉も残していて、これは理想論であってプロの芸人として売れたいなら偽りの自分→ありのままの自分と世に出していくのは至極真っ当な順序だ。
「俺達は好きで落ちこぼれをやってるんだ。一般大衆の一員にはならないことにしたんだよ」
これもさっきの言葉の順番を入れ替えた発言で、どちらも芸人のパラドックスとなんら変わらない。
相反する2つの言葉を並べるが、それはどちらも必要な「大衆性と尖り」であって、自分は天才だと自惚れてその順序を間違えないでほしい。
僕らはカート・コバーンじゃない。
「誠実なエンターティナーと、正直な詐欺師を見分けるのは難しい」
詐欺師とは人を騙して金品を手にするヤツだよね。
じゃあ相手が満足したイカサマでも詐欺師になるのかな?
僕の答えはNOで、ここに「騙されたという負の感情」や「社会通念に反した金品の搾取」が生まれないなら問題ないはず。
仏教の方便とは「真実に近づく手段」のことであって嘘ではない。
相手に「笑いや夢」のような豊かさを伝え、そこに誇張や方便が乗っていても問題はないだろう。
芸人にとって必要なものはなんですか?
「誠実なエンターティナーと、正直な詐欺師を見分けるのは難しい」を言い換えると「エンターテイナーは詐欺師みたいなものだ」と解釈できる。
THE HIGH-LOWSの「日曜日よりの使者」で
”適当な嘘をついて その場を切り抜けて
誰1人傷つけない 日曜日よりの使者”
という歌詞があるが、まさにそのことで、それは芸人が本来目指す場所の1つなんだと思う。
売れたいが、売れるような曲は大嫌い
芸人のパラドックスである「やりたいことをやる為には、やりたくないことをやる」がこの言葉だ。
「売れるような曲は大嫌い」であって「売れるような曲は作らない」ではない。
それは売れてから判断することだ。
売れる為に嫌いな曲を作り、そのおかげで売れて、その後に好きな曲を売りにく。
これはどのエンタメシーンでも求められるフェーズだが、お笑い芸人は特にテレビという大きなフォーマットや、各種デバイス・コンテンツへのアプローチ、今現在も変動の少ない「売れる芸人像」に向かうならこそ、ここの履き違いは気を付けよう。
嫌いでもやる必要がある。
ロックの核心は反体制、反権力だ。成功した俺にもうロックは歌えない。聴衆を誰一人ごまかしたくない。こんなはずじゃなかった。成功したから俺は死ぬ。
冒頭にも書いたカートのこの言葉からもすごく芸人のパラドックスを感じていて、売れてしまったことでカートはアイドルになった。
両手あげた無知なギャルにキャーキャー言われて、偉い人がカートの味方をして、悪口を言うたびに好感度が上がっていった。
本来カートがやりたい「反体制」ができなくなってしまった。
芸人もテレビにフォーカスしたらそうかもしれない。
けど今はテレビ以外にもいろんなコンテンツが存在していて、今後はメディアの在り方もより加速度的に変わっていくので、成功する形が複数形存在している。
反体制のままの成功者も多いしので、自分のなりたい姿のまま成功者になることも可能だ。
カート・コバーンから見る芸人論
カートの言葉こそ「芸人のパラドックス」そのものであり、まずは基礎的に芸人が気をつける姿勢である。
大衆受けに走ろうと個の狂気性は磨き続けて欲しいし、カートの時代と違い今は成功者の立ち位置は様々ってことを知っているべき。
そして、きみのアプローチする大衆とは、どこの誰を指しているのか。
この入り口からもう一度考えてみてもいいんじゃないかな。
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