鍵なんてイチコロ、、、
高校を出るまでマンションに住んでいた。母さんは専業主婦だったこともあるのか、家の習慣なのか、小学生の俺は鍵を持たされてはいなかった。学校から帰ってくると、たいていうちには母さんがいたし、いなくても、上か下の階のママ友のとこにいたので、鍵っ子になる必要はなかった。
その日、学校から帰り、トントントーンと足取り軽く階段を登り、ドアノブに手をかけると、開かない。ガチャガチャやっても開かない。えっ?なんで?と急速に寂しくなる。確か9歳くらいだった。上の階も下の階も行ってみるが、いなかった、、、んだったか、それともなぜか訪問してみなかったのか、忘れたが、とにかく鍵がない。というか母さんがいない。パニックになりそうになるのを階段に座り落ち着かせ、そうだ漢字の宿題しちゃおうとノートと筆箱を出してカキカキし始めた(偉すぎる)。
漢字の宿題は終わったが、帰ってこないマイマザー。よし、開けてみようと、名札のピンで映画みたいにガチガチやってみるが、当然あの動作で何をしてるのか知らないわけだから、うまくいくはずがない。すぐに次の手を思い付いた。活性化してきて、もはやさびしさはなく、盛り上がってきた。うちのマンションのドアは古い団地のそれと同じで鉄のドアで真ん中に郵便物投入口があり、室内側に郵便物受けが設置されている。どうやってか入手してきたワイヤーハンガーをほどいて長く伸ばし、先を曲げたものを用意した。そして、投入口から手を肘まで突っ込み、郵便受けの留め具を外し落とした。そこから自作のワイヤーフックを差し込み、鍵のひねる部分に引っ掛けて開けようという魂胆だ。完璧に思えたが、微妙に鍵の突起が丸みを帯びているため、引っかからない。かなりねばったが、結局、汗だくになっただけで、なんともなりはしなかった。
結局、その後しばらくして買い物から帰ってきた母さんに鍵を開けてもらい、無事に帰宅した。郵便受けが落下してることや、ワイヤーフックの企み、名札のピンが折れ曲がってることなどは、我が家では些細なことなので、怒られることはなかった。たしか、その前に、自分の貯金箱の簡素な南京錠もどきを簡単に解錠できたことで、鍵開け名人になったつもりだったわけだ。
このことで学んだのは、意外と母ちゃん居ないと寂しいんやな、ってことだった。たしか、「寂しかった。」と母さんに訴えたんだった。まだ可愛かった日の俺であった。