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ステキな所持品

 そりゃー憧れたでしょ。ランボーが持ってたナイフ。とにかく欲しかった。小学6年生くらいから中学3年生くらいにかけて、だったと思う。最初は「バイオレンスジャック(永井豪)」が持っていたジャックナイフ。「ドッグソルジャー(猿渡哲也)」のサバイバルナイフ。そういうのを持ち歩きたかった。それで人を傷つけたいなんてことは思わなかった。強がって「シャッ、と、首筋を切るには、、、」などという会話を友人どもとはしていたが、もちろん本気ではない。

 しかし、どこに行ったら手に入れられるのかわからないので、とりあえずは家にあったペーパーナイフやおじいちゃん家にあった「肥後守」という折りたたみ式ナイフを盗み出して満足していた。とくに肥後守は最高にカッコよく、切れ味もよかったが、欲を言えば、すぐに収納されてしまう(折りたたみ式だから)ので、木に向かって投げたりするときに、「チャーン!」と鳴って折れ曲がってしまうのが嫌だった。

 釘を平たくして研いだものにテープを巻き持ち手を作ったナイフは、無骨すぎて満足しなかった。ほかにも、ゴーフルの缶の蓋なんかを鉄挟などで切り抜いて作ってみたりしたが、違った。そんな武器たちを、小学校のお道具箱に忍ばせ、休み時間に友達と体育館裏の木を切りつけたりして遊んでいた。もちろん見つかることもあり、没収されていたが、あれは家に報告がいっていたのだろうか、家で、これについて怒られたりしたことはなかった、多分。

 地元商店街に刃物屋があり、刃物を専門で売ってるお店があるんや、と喜んだが、武器は売ってなかった、いや、日本刀は売っていたがそれは趣味でなかった。また、よく行く模型屋にはプラモデルでサバイバルナイフや銃剣が置いてあったが、たしか1200円くらいしていて、ちょっと買えないし、切れないのは違うわけだ。

 ある冬休み、お年玉だったんだろうが、一万円が使える状況になった。もう14歳になっていた。難波のとなり、日本橋は当時は電子パーツやオーディオ機器などが路面に並ぶ街だったが、モデルショップやナイフ屋、アーミー関連品の店もあった。1月の青い寒空の日だった。1人、日本橋に、難波から歩いて、ほとんど走ってナイフ屋に向かった。以前から目を付けていた6000円の黒い頑丈そうで持ち手に革紐を巻いたサバイバルナイフと、3000円の小さいがエレガントなシルエットの柄が良い香りのする木でできたキャンプナイフを出してもらい、ジロジロと、普段よりももっと舐めるように眺め、手に取り、そして、ついに両方とも買った。ランボーのナイフより小さいし、切れ味は良くなかったが、よかった。その夜、自分の鼻の頭を少し切ってみて、痛いのを確認して、襖を小さく刺して、ジーンとして寝た。

 それらでなにかアブナイ、イケナイことをしたことは一度もない。リンゴを切って食べてみたりしただけだ。が、中3の夏に、夜散歩に行くと言って、ベルトのところにキャンプナイフを挟んで出歩いた時は、なんとも言えない緊張感と快楽を覚えた。あのとき何かアブナイ使い方をしていないのは、俺がしっかりと善悪の判断ができ、自分を律することができたから、ではないだろう。パニックになるような非常なシチュエーションになっていたら、いや、使わなかっただろうが、それはそういう性格だからかもしれない。わからない。

 今、子の親になり、自分の子が、まだそういうものに、その感じで興味を抱き、実行する年齢ではないが、そのうちナイフを夜、持ち歩くようになったらどうだろう。それに気づかないだろうか。知ってしまったら?まあ、アブナイことに使うなよ、と言うだろうか。言わないだろう。アブナイことに使いたくて持ってるんだし。人を傷つけるなよ、か。そんなアホなことしないだろうか。ウチの子に限って?そんなもの夜に持ち歩くなよ、変な気を起こすかも知らんがな。が良いところだろうか。捕まるからやめろ?そんなん知ってるだろうよ。普通の人に育って欲しいと、こういうとき思うよ。

 まあ、しかし、そもそも彼らの「ナイフ」がナイフのような物理的な存在だとは限らない。憧れ、探して調べ、手にして磨き、うっとりと携える。そんな自分の武器なら、振るいかたを知り、うまく扱えるなら、そんな没収もされない「ナイフ」は持ったら良いだろうね。

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