ジャッキー先生
こんなこと、俺世代の男子には言わずとも分かることだが、ジャッキー・チェンの凄まじい体術、クレイジーモンキーシリーズの映像体験、それらにただただ虜になった時期があるだろう。今の子にはわからないかも知れないし、政治的な信条が我々一般的な日本人とは違う、と言う部分を気にしたりする向きもあるかも知れない。だから、あえて記したい。我らがジャッキー先生において、信条だなんだは関係ない、と。虜になるべき対象なんである、と。
よく、ブルース・リーと比較される。それは仕方ない。ブルース・リーはなんといっても、カンフー映画という映画ジャンルを、アジアの珍映画から世界の、誰も真似出来ない、アクション映画にまで一気にステータスをあげた傑物だから。しかし、だからこそ、そのストーリーは分かりやすい勧善懲悪ものになっている。それでいいのだが。
ブルース・リーが切り拓いたカンフーアクション世界を自由に駆け巡り、すっかり西洋世界に追い抜かれた東の哀れな超大国にも連綿とした文学香る庶民のドラマがあることを、なにより東洋の我々に知らしめた若き映画人。それが我らがジャッキー先生なのだ。いや、まあ、複雑なストーリーってわけでも、高尚な群像劇て訳でもないが、生きた人間のドラマ、形にとらわれないカンフー活劇を観せてくれたわけだ。
この視覚体験は、我々男児のアホとタンパク質でできた脳髄をくすぐりまくった。鉄棒に足を引っかけ逆さ吊りになり腹筋運動をしたり、二階の窓や階段の上段から飛び降りたり、自転車から転げ落ちたり、茶碗と箸をクルクル、チャンチャンしながらオカズの奪い合いをしたり、椅子をふりまわしたり、床に足跡を描いてなぞり歩きの蛇拳の足捌きを体得したり、、、。もう、四六時中カンフーと親しめた。、、、、先生らからはめっちゃ怒られた。前歯を欠損した友人もいた。アホめ。
「サンダーアーム 龍兄虎弟(1986年 香港映画)」だ。先生の体術が隆盛の極みにあるのは勿論だが、ここで新しく真似すべき技が披露された。ガムだ。何味か不明だが、本作品ではよくガムを噛んでいる。そのガムの食べ方、口への入れ方が独特で、親指で弾き入れたり、とんねるずの木梨がやっていたように左手指に乗せている手の平を、右手で叩いて飛ばしたり、壁になげつけて帰って来たのを口でキャッチしたりと多彩だ。当然真似した。何個も落ちたガムを食べたものだ。
そんな先生だが、度重なる苛烈なスタントで頭蓋骨、首、鎖骨、指の骨、足と、折れていない場所など無いのではないだろうか。傷めているのは骨だけでは無いのだろう。英国のエリザベス女王の私物のホバークラフトを借り、轢かれるシーンでは足を骨折したことで有名な「レッドブロンクス(1986年 香港映画」の時には、朝起きると、全身の痛みで起き上がれず、準備体操のための準備体操に2時間かけるというのを雑誌で読み、すぐに暮らしに取り入れたが、2時間という俺史上前代未聞の行動様式に、身体中痛くなったのを覚えている。先生はやはり、只者ではないと、思い知ったものだ。
今でも、アクション映画に出演し、「ライドオン(2024年 中国映画)」など記憶に新しい。流石に以前のようにアクション最前線のキャラクターではなく、第一線を退いた名人的役柄を演じているが、やはりカッコよく、まだまだ真似したい動きを示し続けてくれる。ありがとう。ジャッキー先生。これからも導いて欲しい。