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映画の時間03

 いつも個人的な感覚を吐露するこのnoteだが(一般論を議論していない、という意味だ)、今回はマニアックではある。

 ホンモノを見極める目。そんな審美眼を発揮するような暮らしをしていない俺だが、「13日の金曜日シリーズ」を追いかけていたあの頃、見極める目を持っていることに気がついた。「新・13日の金曜日」を観た時のことだ。パート2、パート3と来て完結編で完全に息の根を、、、、ひょっとして、この作品群を知らない人がいる?

 1980年に始まった本作は、ホッケーマスクをかぶった大男ジェイソンがマチェーテやら斧やらを持ってクリスタル湖湖畔のキャンプ場周辺に近づく若者たちを次々と血祭りにあげていくスラッシャームービーだ。実際は1作目ではジェイソンは出てこず、2作目でもホッケーマスクはかぶっていない。しかし、その展開はどれも同じで、ノーテンキな若者たちが近づいてはいけない(と言っている人がいる)場所に近づき、若者らしく騒ぎ、理不尽に葬り去られ、女の子が1人生き残る(ファイナルガール)というもの。いや、そういうスタイルを浸透させたシリーズといえる。歴史を作った作品群だ。

 とはいえ、当時、マンネリは感じていた。いや、俺はリアルタイムでは観ていない。シリーズ7作目、「13日の金曜日 パート7 新しい恐怖」がレンタルビデオ屋さんに並んだ頃に、過去作品を立て続けに観たわけだ(母さんはめちゃ嫌がったので、隠れて観ていた)。で、パート4完結編で息の根を止められ、それでもパート5、今思えばパート5表記がないことからも気づくべきだった。

 何に?5作目である「新・13日の金曜日」の殺人鬼がジェイソンでないことに、だ。ネタバレだ。そんなことはいい。これまでの4作品、マンネリというもののそこにはジェイソンらしい不気味さが漂っていた。漂っていたといっても高度な演出というわけではないし、監督も違うんだが、なんというかチープながらにジェイソンという感情の通わぬ、無邪気なまでに殺人を重ねる(快楽殺人ではない)男の影が忍び寄るストレスみたいなものがあった。それが、「新」には感じられなかった。全体的にじめっとしたものが漂い、不快な雰囲気。ジェイソン、こんな感じやったかな?ていうか、徹底的に殺されてたよな、ジェイソン。

 ラスト20分くらいで出てくるホッケーマスクの男。やっぱりジェイソンなの?とも思ったが、まあ、違うのかな?なんかやられ方が違うし。で、ラストにマスクが取れると、違う男でした、ということでした。そう。審美眼だ。雰囲気でも気付いたし、パート5表記がないのも(当時、気づいてはなかったが、ん?とは思っていた)、そして、マスクだ。ジェイソンのマスクには眉間部分と頬部分に赤い印が入るが、こいつ(子供を殺された救急隊員だった)のは青い印だ。これを言いたかっただけ。

 それにしても、当時のスプラッタ映画は優雅というか、バッサバッサと殺すことはなく、悪く言うとテンポ悪く、地味に進めていく。今時の作品を見慣れたスプラッタファンからしたらトロく映るだろう。音響も悪いし(どの作品も同じ靴音、物を置く音)、画面は暗いし。しかし、それがゆえに独特の緊張感がある。旧作贔屓だからかも知れないが。ノスタルジーだ。もっと、ちゃんと詳しく話したいが、またの機会に。

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