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<書評> ジャケ買いで失敗しがちな人におすすめしたい三冊 ― 第8回翻訳者のための書評講座 尾張惠子

 「翻訳者のための書評講座」は書評家豊﨑由美さんに翻訳者たちが教えを請う講座。11月16日はその第8回目、わたしは「~におすすめする三冊」というテーマで臨みました。この講座にでは、受講生と講師が前もって提出されたそれぞれの書評(無記名)に点数をつけて講評するのですが、なんと、今回わたしは豊﨑さんから「逆選」という評価をいただいてしまいました。つまりマイナス。その理由は、ルール違反。この講座に提出するのは、課題もしくは自由課題の書評、作家紹介、「~におすすめする三冊」、「時評書評」のいずれかというルールがあるのですが、わたしが提出したのは三冊紹介の形ではありましたが、「思わずタイトル買いした三冊」というもので、「~におすすめする」というものじゃなかったのです。(提出した後、なんかそうじゃないかというぼんやりとした不安は感じていた・・・)
 しかしこのルールがなければ、豊﨑さん的には「4点」という高い評価とのことでした。指摘されたのも、媒体を考えると段落が長すぎる(短く6段落くらいに分ける)ことと、三冊につながりがほしいというくらいでした。 
 その指摘を受けて、「~におすすめする三冊」の形に改稿いたしました。内容はほぼそのままなので行数が増えました。出発点が間違っていたので、三冊につながりをもたせるというのは少し無理があり改稿には反映できませんでした。
 後ろに、講座に提出たものもあげておきますので、比較していただけたらと思います。

<改稿後>
〈書評〉ジャケ買いで失敗しがちな人におすすめしたい三冊
 
 外見に惹かれて中身は何も知らないままレコードや本を買ってしまいがちな人、いますよね。で、時々失敗する。そんなあなたに、タイトルだけで思わず買ってしまっても大丈夫という三冊をご紹介します。
 まずはリカルド・アドルフォ著『死んでから俺にはいろんなことがあった』(木下眞穗訳)。帯文には「俺はただ家に帰りたいだけなのに」とあり、生者と死者の境目がない世界で繰り広げられるドタバタ喜劇を想像しましたが、さにあらず。妻と幼子を抱え不法移民となってしまった男性が、思い込みの強さから次々とトラブルを引き寄せていく物語。望まぬ方へ望まぬ方へと突き進んでしまう展開はつい笑ってしまうのですが、読後は、社会的に「生きている」とはどういうことかを考えさせられました。
 作者はアンゴラ生まれでポルトガル育ち、現在は東京在住。徹底的に言葉がわからない舞台設定は日本での体験から生まれたのかもしれません。
 タイトルにギョッとして手に取らずにはいられないのは、アグラヤ・ヴェテラニー著『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』(松永美穂訳)。いったい何の話なのと思いましたが、亡命して世界各地を転々とするサーカス一家の物語です。語り手は末娘、幼さゆえ語彙も限られていて事情もぼんやりとしか明かされないけれど、内容はびっくりするほど過酷です。でも少女は現実をたんたんと受け入れている。タイトルは死と隣り合わせのサーカス暮らしを耐えるため姉が語ってくれたメルヒェンの一部だったのです。
 幼いころルーマニアから亡命した作者の自伝的作品で、彼女が読み書きを学んだのは十五歳のとき、スイスに定住後のことでした。本作はドイツ語を母語としない作家がドイツ語で書いた作品に与えられるシャミッソー賞を受賞、世界十六カ国で翻訳されベルリン芸術賞も受賞。作家だけでなく俳優としても活動していた作者でしたが精神を病み、二〇〇二年、三十九歳で亡くなりました。
 「死んでからいろいろ」とか「子どもをおかゆで煮る」などと物騒なタイトルに続きますのは幽霊であります。デーリン・ニグリオファ著『喉に棲むあるひとりの幽霊』(吉田育未訳)。「幽霊」の正体は早々に明かされます。十八世紀のアイルランドに実在した詩人のアイリーン・ドブ・ニコネル。最愛の夫を若くして殺され、強烈な『哀歌(クイネ)』を残したこの詩人に少女時代から魅了され続けている主婦が語り手です。
 幼い男の子三人を抱え育児だけでも修羅場なのに、乳の出る間は母乳バンクに寄付するため搾乳を続け、やがて四人目を妊娠、生まれた娘は危篤状態で……。どう考えても寝る時間すらないという日々を送りながら、取り憑かれたようにアイリーン・ドブの人生を追い続ける彼女。けれど三世紀前の詩人に関する記録はほとんど残されておらず、そもそもクイネは弔いの場で歌われたものであり口伝えで残されてきたもの。その探求は困難を極めます。狂気にも似た情熱に導かれた彼女がたどりついたのは……。
 自身も詩人である作者が実人生を織り込んで書き上げた本作は、日記であり研究記録であり、詩であり翻訳の書でもあります。
 ドキッとしてそそられるタイトルの三冊、いかがでしたか? 中身のほうも外れなし、おすすめです。
 
想定媒体=クロワッサン
本文のみの字数=二〇字x七〇行


<改稿前>
〈書評〉思わずタイトル買いした三冊
 
 パッケージに惹かれて中身は何も知らないのにレコードや本を買ってしまうというジャケ買い、時々やってしまう方もいるのでは?今回ご紹介するのは、ジャケットならぬタイトルだけで買ってしまった三冊です。
 まずはリカルド・アドルフォ著『死んでから俺にはいろんなことがあった』(木下眞穗訳)。帯文の「俺はただ家に帰りたいだけなのに」という箇所を読んで、生者と死者の境目がない世界で繰り広げられるドタバタ喜劇を想像しましたが、さにあらず。妻と幼子を抱え不法移民となってしまった男性が、思い込みの強さから次々とトラブルを引き寄せていく物語。望まぬ方へ望まぬ方へと突き進んでしまう展開はつい笑ってしまうのですが、読後は、社会的に「生きている」とはどういうことかを考えさせられました。作者はアンゴラ生まれでポルトガル育ち、現在は東京在住。徹底的に言葉がわからない舞台設定は日本での体験から生まれたのかもしれません。
 二冊目はアグラヤ・ヴェテラニー著『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』(松永美穂訳)。ギョッとするタイトルにいったい何の話かと思いましたが、亡命して世界各地を転々とするサーカス一家の物語です。語り手は末娘、幼さゆえ語彙も限られていて事情もぼんやりとしか明かされないけれど、内容はびっくりするほど過酷です。でも彼女はそれをたんたんと受け入れている。タイトルは死と隣り合わせのサーカス暮らしを耐えるため姉が語ってくれたメルヒェンの一部。自伝的作品で、幼いころルーマニアから亡命した作者が読み書きを学んだのは十五歳のとき、スイスに定住後のことでした。本作はドイツ語を母語としない作家がドイツ語で書いた作品に与えられるシャミッソー賞を受賞、世界十六カ国で翻訳されベルリン芸術賞も受賞。ヴェテラニーは作家だけでなく俳優としても活動していましたが晩年は精神を病み、二〇〇二年、三十九歳で亡くなりました。
 最後はデーリン・ニグリオファ著『喉に棲むあるひとりの幽霊』(吉田育未訳)。タイトルの「幽霊」の正体は早々に明かされます。十八世紀のアイルランドに実在した詩人のアイリーン・ドブ・ニコネル。最愛の夫を若くして殺され、強烈な『哀歌(クイネ)』を残したこの詩人に少女時代から魅了され続けている主婦が語り手です。幼い男の子三人の育児だけでも修羅場なのに、乳の出る間は母乳バンクに寄付するため搾乳を続け、やがて四人目を妊娠、生まれた娘は危篤状態で……。どう考えても寝る時間すらないという日々を送りながら、取り憑かれたようにアイリーン・ドブの人生を追い続ける彼女。けれど三世紀前の詩人に関する記録はほとんど残されておらず、そもそもクイネは弔いの場で歌われたものであり口伝えで残されてきたもの。その探求は困難を極めます。狂気にも似た情熱に導かれた彼女がたどりついたのは……。自身も詩人であるニグリオファが実人生を織り込んで書き上げた本作は、日記であり研究記録であり、詩であり翻訳の書でもあります。
 思わずタイトル買いした三冊ですが、結果は大当たり。予備知識なしに手にしたからこそ目を啓かれる喜びもあるのです。
 
想定媒体=クロワッサン
本文のみの字数=二〇字x六十五行

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