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半生を振り返る

30代後半に差しかかり、人生の半分を消化したかもしれない今、半生を振り返ることにしました。


「あそこの酒屋の子か」と言われて

1985年生まれ、愛知県出身。男3人兄弟の真ん中で育ちました。父親は昭和の気質そのものな典型的な亭主関白。母親は専業主婦で世間知らずなところがありました。家は裕福ではなく、ボロ屋のような古びた家と父親と祖母が営んでいる酒屋が、私の育った環境でした。
その酒屋は、ただの店ではなく、日雇いの土木作業員や酔っ払いが集まる酒場でもありました。毎日のように、ゴツゴツした大男たちや前歯のないタバコ臭いおっさんたちが酔っぱらっては、どうでもいいくだらない話を繰り返していました。子供にとっては、そういう場所で過ごすのは当たり前の風景だったけれど、内心ではうんざりしていたのを覚えています。
近所の人たちから「あそこの酒屋の子か」と言われるたびに、嫌な気持ちが込み上げてきました。周りから見れば、ただの酒屋の子供。それが子供心にも自分のプライドに触れていたのかもしれません。自分が将来どこに向かうかも分からず、ただこの環境から抜け出したいという気持ちだけが、漠然といつも胸の奥にありました。
そんな酒屋で育った日々を振り返ると、決して心地よいものではなかったけれど、今の自分を作り上げた根っこの部分だとも感じます。あの時の嫌な記憶も、今となっては自分の一部。それが良いか悪いかはわかりませんが、あの酒屋の匂いと、酔っ払いの声は、今でも頭の中に鮮明に残っています。

まさに昭和の情景が広がる時代でした

失われた大黒柱

父親の「名古屋大学に合格すれば一人暮らしを許可する」ー家から出たいその一心で必死に勉強しました。合格の知らせに喜びを感じましたが、それと同時に家から解放されるという思いでいっぱいでした。しかし、大学に入学した途端、燃え尽き症候群のようなものに襲われました。1年ほどは友達もできず、何もやる気が起きず、学校もサボるようになりあまり通っていませんでした。
そんな時、何か新しいことを始めたいと思い、軽音楽のサークルに入ってギターを手にしました。そこはゆるい雰囲気のインカレサークルで、様々な大学からフラフラと集まってくる、似たような感性を持った人たちが多く、居心地の良さを感じていました。
大学2年生になると授業も減り、バイトや合コンに明け暮れる日々が始まりました。サークルでは先輩の女の子と付き合い、ついに童貞も卒業し、表面的には順風満帆な大学生活を送っていたように見えます。充実した日々に見えるかもしれませんが、何かが欠けているような感覚が常に心の隅にありました。
大学3年生の時、早く死ねばいいと思っていた父親が急死しました。良くも悪くも家庭の大黒柱であった父がいなくなり、家族は崩壊。情緒不安定な日々が続き、自分は何を目指していたのかも分からなくなってしまいました。父親に唆されて進学したものの、父親がいなくなったことで、道しるべを失ったような気持ち、空虚感と無力感に襲われました。
葬式の日に見た夢では、父親が黒い喪服を着て、並んでいる先祖たち(?)の中から現れ、不機嫌そうな顔をして立っていました。父親は何も言わず、ただ振り向いて奥へと去って行ってしまった姿が印象に残っています。母親は「死んだ人は、頼りにする人のところに現れるものだよ」と言いました。その言葉を聞いた時、ふと自分が家族を支える立場にいるのだと感じ、不満ばかり言っておらず自分がしっかりしないといけないなと思うようになりました。

精神と時の部屋

大学4年生から研究室に入り、そのまま流されるように修士課程まで進みました。研究室はまさに「精神と時の部屋」のような閉鎖的な空間で、気難しい先輩やドクターたちに囲まれ、一日中パソコンに向かい黙々と作業を続ける日々。誰とも話すことなく一日が終わることも珍しくありませんでした。ずっとこのような環境にいると、振り返ると、言語障害が発症したかのように、人と上手く話すことができなくなっていた気がします。後から調べてみると、当時の自分は「場面緘黙」という症状に近かったのかもしれません。
そんな状況で就職活動も上手くいかず、ほぼ迷走状態でした。その結果、母親の勧めに従い、地元の市役所に就職しました。ようやく社会に出た、という解放感と新たな期待感で満ち溢れていました。役所での生活が、自分にとっての新たなスタートとなるはずだと思っていました。

安定を蝕むウジ虫たち

公務員としての理想を抱いて入庁しましたが、実際の現場は、理想とはかけ離れたものでした。役所に来るのは住民の不満やクレームが大半で、それに対する対応は事なかれ主義が蔓延している。振り返れば、役所の仕事は、まさに「できません」と断ることが仕事のように感じていました。法律や規則を盾にして、住民のクレームに対応する日々。その対応も、実際には現状維持がほとんどで、理想的な答えを提示することは稀でした。ほぼ毎日、「他都市で前例があるから」「過去の判例がこうだから」と、同じようなフレーズが繰り返され、いかに動かないかが重視されているような環境でした。
結局は現状維持が重んじられ、日々のルーチンワークに埋もれていくような感覚に陥り、代り映えのない退屈な一日に嫌気がさしていました。面接のとき、人事部長が言った「役場に入るのは牢屋に入るようなものだ」という言葉が、時折頭の片隅に蘇り、自分の現状を象徴しているように思えていました。
そして、公務員という肩書きを持っているだけで、色眼鏡で見られることが多くありました。周りからは、「公務員だからこう振る舞うべき」「こういう人物であるはずだ」と勝手に思い込まれ、決めつけられる。そんな扱いを受けることに、強い違和感と嫌悪感を抱いていました。
地元では、「結婚して子どもを持ち、家庭を築いて平穏に暮らす」ことが至上の価値とされ、それが当たり前という風潮が根強くありました。公務員として働き始めた私は、次第に同僚たちがどれだけ「安定」を求め、しがみついているかに気づかされました。彼らは、口を開けば給与や退職金の話ばかりで、その安定をむさぼる姿が、次第に国や税金を食い尽くす「ウジ虫」のように見えてきたのです。
地方において、公務員は安定職で、結婚相手として人気がありました。婚活女子たちがこぞって公務員に群がり、その「安定」を食い尽くすかのように寄ってくる姿に、私は嫌気が差していました。周りが安定を求めて集まってくる。彼女たちの姿も、安定をむさぼるもうひとつの「ウジ虫」にしか思えませんでした。
しかし、ふと気がつくと、その「ウジ虫」は私自身でもあると感じ始めました。公務員という肩書きの中で生きる自分もまた、安定に依存し、地元に根を張っているに過ぎないのです。周囲を見下してはいるものの、自分もまた同じ地盤の中にいる「ウジ虫」でしかない。異質なものを追い求めているように感じつつも、結局は安定を捨てきれず、祖母や親の期待、公務員という立場に縛られ続けている自分。
自分はここに居場所がないと感じつつも、何の行動も起こせないまま、日々が過ぎていきました。周囲と同じく「安定」という幻想にしがみつき、自分もまた「ウジ虫」の一部になっている。その現実に苛立ちながらも抜け出せない日々が続いていました。

出会い、覚醒、本能

彼女はいつもポジティブで、悲観的だった自分とは対照的でした。相談事や悩みにも真剣に向き合ってくれ、彼女と話すたびに自分を振り返る機会を与えられ、自分がどれほど閉じこもっていたかを感じさせられました。彼女はまさに私にとって唯一の救いであり、まるで女神のような存在でした。彼女と過ごした時間は特別で、何よりも強く印象に残ったのは、彼女と心を通わせる瞬間でした。それは本能的で、純粋な欲望が解き放たれる体験であり、私の中に眠っていた「性」と「欲」を覚醒させるものでした。

頼まれごとは試されごと

ある日、彼女に誘われて中村文昭さんの講演会に行くことになりました。彼が登壇して、まず話したのが「頼まれごとは試されごと」という言葉でした。その言葉が、今でも心の中に深く残っています。彼の語り口は熱っぽく、しかし冷静で、「頼まれる」という行為が持つ本質について話していました。

中村さんの言葉には、「誰かが何かを頼むとき、その人は相手を試しているんだ」という考えが込められていました。確かに、思い返してみると、人は「この人なら応えてくれるだろう」と思う相手にしか頼まないものです。頼まれたとき、それは自分が試されている瞬間であり、その頼みごとに応えることで、自分がどれだけ信頼に値する人間かを示すチャンスだということです。
中村さんは、そうした頼まれごとにどう応えるかで、人生のステージがどんどん変わっていくと語りました。どうしても忙しい日常の中で「これも無理だし、あれもできない」と言い訳してしまいがちです。しかし、誰かに何かを頼むときは、それが小さなことでも、その瞬間に自分が何を感じ、どう応えるかが試されている。そんなメッセージが、私の心に強く響きました。
そして自分の中には、これまでずっと、頼まれたことに応えられなかった不甲斐なさが積み重なっていたのだと気づかされました。

逃亡生活~シェアハウスへ

その後、職場や母親の反対を押し切り、私は半ば無理やり結婚という手段を使って地元を離れることにしました。寿退社という大義名分はあったものの、正直なところ、結婚は単なる「逃亡」の口実に過ぎませんでした。公務員として働き続けることへの息苦しさ、地元の価値観に縛られることへの嫌悪感、それらを振り切るようにして、私は地元から逃げ出しました。
しかし、そんな不純な動機で始めた結婚生活がうまくいくはずもなく、最終的には崩壊しました。家庭を築くどころか、次第に自分の居場所すら感じられなくなり、最後には夜逃げ同然で住む場所を転々とする羽目に。新しい土地で何とか再スタートを切ろうとするものの、何をしても空虚感が拭えませんでした。まるで、人生がどんどん崖を転がり落ちていくような感覚で、「落ちるところまで落ちてしまったな」「どうしてこんなことになってしまったのか?」と、ひとり途方に暮れる日々が続きました。
失敗続きの自分が何を求めているのかさえもわからなくなり、心はどん底に沈み込んでいました。それでも、どこかで「自分を変えるきっかけ」が欲しかったのかもしれません。そんなとき、ふと耳にしたのが名古屋にあるシェアハウスの話でした。そこで新しい「つながり」を築けるかもしれない——それがどんな形になるのかもわからないまま、私はそのシェアハウスに向かいました。
そこのシェアハウスのオーナーは私を親身に支えてくれ、親のような存在としてサポートしてくれました。部屋にこもりながら、これからの人生をどう進むべきか悩んでいた私は、持ち前の頭の回転の速さを活かし、独学でエンジニアの道に進むことにしました。追い詰められた状況の中で、何とかして新しい道を切り開こうと必死だった時期です。
そして、同時期にそのシェアハウスにいた住人の一人に誘われ、アダルト事業にも足を踏み入れることになりました。詳細はよくわからなかったものの、興味を持って話を聞くために事務所を訪れることにしました。

エロスの世界へ

誰しも性癖の一つや二つは持っています。みんな表では何も言わないだけで、AVを見ている人は多いはずです。AVは今や日本の文化の一部と言っても過言ではありません。それなのに、なぜ多くの人はそれを隠すのでしょうか。テレビやネットではエロが溢れているのに、表立ってそれを話題にすることは少ないのが現実です。日本人は性に対して隠すことを美徳とするお国柄ですが、これも一種の性癖といえるのではないかと思います。
私が足を踏み入れた事務所では、フェチ系やチラリズム系の動画を撮影していました。「フェチ」とは、ある特定の要素にエロスを見出す嗜好です。「チラリズム」は、すべてを見せず、ほんの一部だけを見せることで想像力をかき立て、欲望を刺激する手法です。人がどこにエロスを感じるかは本当に人それぞれで、性癖というのは非常に多様です。これには、個々の生まれつきの性質だけでなく、職場や社会的な環境が影響を与えることもあります。
そうして、私自身も、フェチや性癖について考えるようになり、人間の欲望について深く探求することが増えました。不倫ものや寝取られものといった、社会的に「良くない」とされる題材に、人々が強く惹かれるのはなぜでしょうか。禁じられたものに対する興味や、人間の本能的な欲望がそこに反映されているのかもしれません。
役所にいた頃、周りの人々はみな「清廉で正しい」生活をしているように見えましたが、結局のところ、彼らも欲望に囚われた人間に過ぎないことに気づきました。そのことに気づいたとき、なんてくだらない世界なんだと思ったのです。結局、どんなに表面を取り繕っても、人間は欲望の塊。私たちはその欲をどう扱うかで生き方が決まるのです。
性に対する隠された欲望や矛盾、それが日本社会の中でどのように扱われているのかを考えるうちに、私はより深く人間の本質に触れることができた気がしました。エロスは、ただの快楽のためだけでなく、人間が自分自身を見つめ、欲望とどう向き合うかを考える鏡なのだと。

東京そしてモテアマスへ

フェチやチラリズムの世界に没頭していた私ですが、次第にそれだけでは物足りなさを感じるようになりました。新たな刺激を求める中で、エンジニアとしても新しい挑戦を始めたいという思いが芽生えました。「一段落ついたし、次はどこに行こうか?」と考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが東京でした。
日本を象徴する場所といえば、やはり東京。バックパッカーとして海外を旅していた時に、名前よりも「トーキョー」と呼ばれることがあり、日本=東京という強いイメージが世界中にあることを実感していました。そんな中で、自然と自分もいつか東京で挑戦したいという思いを抱くようになりました。
そうして、さまざまな出来事を経て巡り着いたのが、伝説的なシェアハウス『モテアマス三軒茶屋』でした。モテアマスは、多様な価値観が交差し、自由とカオスが渦巻く場所。この場所で出会った人々との交流は、私に新たな視点と挑戦心を与えてくれました。ある時、空き部屋を使って撮影会を開いたのですが、これが周囲から大バッシングを受け、大炎上案件となりました。それでも、私はその場所で自由を感じ、住み続けることに何の迷いもありませんでした。
そんな混沌とした環境の中で、私はエロスと欲望を追求し続けていきたいと思います。私が撮影を続ける理由はただ一つ。それは、人間の本能や欲望、その深淵を探りたいという強い衝動に駆られているからです。エロスとは、人間のもっとも原初的な欲望であり、その中にこそ人間の本質があると信じています。
私は性を通じて、人間の奥底に潜む欲望を見つめ、その隠された部分を表現したいと思っています。その衝動に突き動かされて、今も映像を通じて人間の本質を探求しています。撮影をしようという動機に、これ以上の理由は必要ありません。性欲こそが、私たちを最も人間らしく、そして正直にさせるものだと思っています。

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