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ジェトロさんとのご縁

記憶を辿ってみました。

2006年に社長就任後、念願だった海外への販路開拓をやろうと思っていました。
そんな中、東国原さんが2007年宮崎県知事になって海外を目指そうとの旗振りの
元、香港への海外販路視察団の第1陣として香港へ行きました。
香港の賑わいを肌で感じて「よし海外はまずは近いし宮崎県も後押ししている香
港からスタートしよう。」と決めました。
東国原さんの視察の時にたまたま福岡の方々とお会いする機会がありました。
福岡の方々から「香港へ福岡県の後押しでやってきて10年、やっと販路が出来つ
つある」というお話を聞き、10年は長いので5年間やってみようとその時に思い
ました。

それから、動けど動けど販売会ではまあまあの売上は上がるものの定番商品とし
てスーパーマーケットの棚を得るまでは行きませんでした。
香港から目先を変えてシンガポール、台湾、中国本土などもチャレンジしました
が、一向に販路は広がりません。
そんなこんなであっという間に5年が過ぎました。(2006年~2010年)
2011年からは海外をやりながらも国内の展示会を中心に5年間やりました。
(2011年~2015年)

海外は相変わらず販路が広がりませんでしたが、そんな中きっかけになる出来事
が5つありました。

(1)
2012年にうまく行かない海外をなんとか出来ないかと、当時シンガポールに住ん
でいた友人宅にてガーデンパーティーを企画してもらいました。
あらゆる人種がいるシンガポールならではで様々な人種の方を20~30人集めても
らって、レンズ・チャイナのオーナーシェフ(通称マーシー)にシ
ンガポールに来てもらって、現地の食材で大山食品の調味料での食事会です。
お寿司やチキン南蛮、魚料理、スープなどなど、、、どれも美味しくて好評だっ
たのですが、中でも机の上に置いていた「ユズホットソース マーシー」を全て
の人種の方が大絶賛されました。
今後の海外展開の光が見えました。
これまではお酢やこんにゃくなどと一緒のスタンスで、2009年2月1日発売のマー
シーをPRしていましたが、これからは「マーシー」を中心にPRをしていこうと決
めました。

(2)
海外がうまく行かないかの理由が大きく2つあることがわかってきました。
ひとつは、アジアでは大山食品の商品はまだ高価すぎたのではないかということ
でした。
商談での味見では美味しいとの評価をもらえましたが、見積もりを提出してから
の反応がよくありませんでした。

(3)
また、信頼のおける現地でのパートナーが不在だったことも影響していました。
信頼のおけるパートナーが居ない場合は、大きな取引をどうしても躊躇してしま
います。それが潜在意識にあるために大きな商いができていなかったのです。

(4)
そこでその2つをクリアできる方法を考えました。
価格の面では、アジアよりもヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、中東など
が高額商品に対しての受け入れの許容範囲が大きいのではないか。
さらに信頼関係のすでにできている「M商事※すでに30年
近いお取引(2006年での取引額はゼロでしたが)があった。」の販路であるヨー
ロッパ、アメリカ、オーストラリアから再トライをしてみようと考えました。

(5)
海外にトライを始めた2006年はまだ、JETRO宮崎はありませんでしたので、海外
の相談は福岡か鹿児島のJETROを活用させてもらっていました。
「海外輸出有望企業支援※名称は間違っているように思います。」というのがあ
り、専門家を一人つけてもらえて二カ国を選定し2年間支援してもらえるという
ことを知りました。
そんな中2015年にタイミングよくJETRO宮崎が開設され、福岡・鹿児島のJETROか
らJETRO宮崎へバトンタッチしてもらいました。
2015年からその制度を活用させてもらって、まずはドイツの展示会(アヌーガ・
2015年9月・ジャパンパビリオン)に初めて出展させてもらいました。
マーシーにも大きな反応があり確かな手応えを感じました。
そして、2016年1月のアメリカ・サンフランシスコでの展示会(WFFS2016・ジャ
パンパビリオン)で大きな引き合いがありました。
その後アメリカを中心に販路を広げることができました。

現在は、再度アジアへのチャレンジを再開しています。
より良いパートナーを作るために、JETROの「インターンシップ制度」をリアル
で1回2名(インド・タイ)、オンラインで2回1名づつ(ベトナム・カンボジア)
活用させてもらいました。
現在もそのインターンシップの方々と連絡を取り合っており、やっとコロナがあ
けましたので、来年くらいからその国の展示会へ参加してインターンシップ生の
協力をもらいながら販路を広げられればと思っています。

結果2016年から海外での販路が広がりましたので、ちょうど10年かかりました。
10年間諦めずにトライできたのにはJETROの存在は大きなものがあり、感謝して
います。
宮崎にJETROが出来たことが大きな転機になりました。
これからもいろいろなことはあるかもしれませんが、海外と国内での販路を広げ
日本食(発酵食品・伝統食品)を世界に広めることで、世界中の人を健康に幸せ
にしていければと思っています。

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