創作進化論、音楽は飛ぶことができるか 〜Still House Plantsと南極ゴジラを観て〜

音楽は何のために存在するだろうか

もしかして、踊るため?

9/21LIQUID ROOMにて、Still House Plantsを観た。

MODE @ LIQUIDROOM

X上の感想を見て色々考えた。よくわからない分数を並べただけのポストや踊れませんでしたといったポストにモヤモヤする。

ライブハウスやクラブにおいてフロアには「踊れる」か「踊れない」かの定規しか落ちていない。

その定規を振り回す観客に合わせて、バンドマンやDJは音楽を提示している。目盛を一生懸命に合わせる。音楽は定規に押さえつけられる。

goatは特にそう感じた、定規に書かれているよくわからない分数に一生懸命に合わせる。必死に、苦しそうに合わせる。客は目盛にあってる!と嬉しそうに全員で定規を押しつける。

Still House Plantsは全くそうでなかった。自分たちの面白い音、好きな音をお互いに探り合い音楽を形成していた。客は押さえつけることのできない、その音楽に定規を捨てていた。変に動く人、全く動かない人。本来、音楽はこうあるべきと思った。

しかし、興味を失い眠る人もいた、フロアに居ない人もいただろう、定規に合わないものを無視する人達もいる。


9/23すみだパークシアター倉にて、南極ゴジラ『バード・バーダー・バーデスト』を観た。

南極ゴジラ『バード・バーダー・バーデスト』ポスター

昨年よりちょくちょく演劇を観に行っている。

どの演劇でも、観るたびに思うのはなんて自由なんだろうということ。

布も船と言えば船となり、時間も2年後と言えば2年経ち、人も恐竜と言えば恐竜となる。

この想像力あふれる自由な空間がとても心地よい、そして観客もその自由さを期待している。そういう姿勢が普段音楽イベントを観に行っている私にとっては新鮮であり、とても羨ましいと思う。


『バード・バーダー・バーデスト』は恐竜はなぜ鳥に進化したかという話であった。

ダーウィンの進化論に則り進化するものが生き残ったのではなく、恐竜が心から空を飛びたいと自身で思ったから鳥に進化したのだという話であった。

ラスト・シーン、たしかに恐竜は飛んだ。たしかに飛んだ。しかし、一歩引いてみると恐竜の格好をした人を多くの役者がただ持ち上げているだけであった。でも、飛んでいた。劇場に居る全員が飛べと心から思っていた。全員が飛んだと心から思った。

全員が同じ飛び方を想像していたとは思えない。でも、全員が飛んだと思った。定規が無いのに、押し付けられないのに、全員が作品を心から楽しみ、信じていた瞬間だったように思える。


すみだパークシアター倉を出た後、Still House Plants『If I Don't Make It, I Love U』を聴きLIQUIDROOMのことを思い出す。

Still House Plantsも飛んでいたのでは無いかと思う。定規を押しのけフロア上空を自由に心地良さそうに飛んでいた。

定規を押しのけられたことに対して苛立ち、無関心になるのではなく、飛ぶ様が美しいとそうアーティストを信じることが最も重要であると思う。


劇の中で「進化は愛かもしれない」というセリフがあった。わからないことであっても、押さえつけられないものであっても、愛を持って信じることが進化に繋がる。

Still House Plants『If I Don't Make It, I Love U』のジャケは歪んだ3のような形に見えるが、裏ジャケまでみると大きなハートになっている。Xで大きな影と言っている人が居たが、全貌を十分見るべきである。


最後にMODEと南極ゴジラに感謝します。アーティストを信じ、活動する人達は素晴らしい。

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