「足るを知る」の本当の意味をChatGPTと対話して確認
知足という言葉が出てくる経緯
「知足」…つまり「足るを知る」という言葉だ。
最初に、この言葉がなぜボクの日々の仕事で出てくる言葉なのかを、簡単に説明しておくことにする。
「知識」は、誰が答えても同じ答えになる。
「知性」は、人によって答えが違うもので構わない。
「知識」に、人によって違う「主体性」や「感性」が掛け合わさるものが「知性」だと個人的に考えているからだ。
まず、それを踏まえた上で、日々の仕事の話を絡めてみよう。
価格競争に巻き込まれない事業体質・出逢いたい顧客に出逢える事業体質にすることがボクの日常の仕事であるため、個人事業主だけではなく組織的な法人であっても「独自の感性」「主体的な想い」が不可欠であることを提唱し続けている。
具体的業務としては、未来の意思決定を間違えにくくするために簡易的にでも「管理会計」を用いるが、クライアント事業者と毎月必ず実施していることが「主体的に自分達が描く顧客の未来像はどういうものなのか」「なぜこの事業は自分達でやり抜く必要があるのか」の対話を続けている。
また、その対話の結果やプロセスを、まずは「社内広報」として関係当事者に共有し、外部に出す時には伝えることよりも「伝わるもの」にするために「デザイン監修」にも関わる。
事業者の文化形成に欠かせない要素だからだ。
これを継続していると、同業他社と遜色ない「知識」だけではなく、価値づくりに対する独自の「知性」という無形資産にどんどん磨きがかかる。
この「無形資産」というものは、あらゆる価値づくりの土台となることを優しい図解で説いた本が「未来に期待したくなるジブンスイッチ」だ。
とにかく、事業者の独自の「知性」が明確になるからこそ、この人に任せたい・この事業者にお願いしたいとなると価格競争に巻き込まれるリスクは軽減されるだけでなく、「知性」の背景にある「感性」が近い人が未来の顧客になり得るため、出逢いたい顧客に出逢えるようになる機会が増える。
そうすると、自社にはなくて同業他社にあるものを妬んだり、低価格だけに反応するマーケットに媚びを売る必要もないことに気づくようなる。
つまり「知識」だけではなく「感性」を活かすことで独自の「知性」を磨き続けていると、気づけば「知足」の域の辿り着くという縮図である。
この流れで初めて出てくる「知足」という言葉。
つまり「足るを知る」という言葉だが…最近、この言葉の本来の意味を誤解している人が案外多いことに気づいた。
「足るを知る」というのは、妥協したり我慢すること…「向上心とやる気を抑制していこう」なんていう意味合いだと誤解している人が案外多い。
そうなると、ボク自身が提唱している「知性を磨き続けていると知足の境地に辿り着く」なんていう表現に矛盾が生じることとなる。
元は中国古典からの引用の言葉
「知足」の語源は、老子の漢文の一部から引用されている言葉なので、その「知足」の前後に記載されていることも含めて解釈すると、もっと前向きで深いものであることが解かる。
これについて、いろんな文献やネットでの情報を調べて人に提示しても良いいのだが、それでは言葉ので意義付けを押し付けてことにしかならない。
そんな定義的な完結よりも、哲学的な思考によって示した後に腑に落ちるものにするにはどうすれば良いかと思案していた。
そこで何気なく頭に浮かんだのが最近何かと話題の「ChatGPT」だ。
「こうした哲学的なことは、ChatGPT(AI)ならば、なんて応えてくれるものなのだろうか」と早速入力をしてみると想像だにしていなかった「対話」になった。
ボクがChatGPTに以下の通りの入力で問うてみた。
知人者智 自知者明
勝人者有力 自勝者強
知足者富 強行者有志
不失其所者久
死而不亡者壽
この中国古典からの引用で「足るを知る」とは「我慢や妥協をすること」という意味ではないという説明をお願いします。
即答だった。
ChatGPT自体が漢文の和訳ができるのか、同じ文字の羅列を元にその和訳をネット上のあらゆる情報を引っ張ってきているのか…おそらく後者だとは思うのが、あまりの早い回答にビックリする。
しかも…人への気遣いすら感じられるほど日本語としても解りやすい。
引き続き、日頃から「子育ての場面でも、職場での価値づくりの場面でも、一人ひとりの主体性が求められているが、今は子供達よりも大人に主体性の欠如がとても気になる」ということを唱え続けている立場として、次の問いを続けてみた。
一体自分はどうしたいのか、自分をどのように活かして生きていきたいのかという「主体性」をしっかり持っていれば、「足るを知る」という言葉の意味を「我慢や妥協をすること」という意味と誤解するリスクは減るという考え方はどうでしょうか。
期待以上の応えである。
AIに感性があるとは思えないが、もはや知識ではなく知性としての応えだ。
ここまでのやりとりで、AIと対話している気分になってきたので、最後にはにこんな質問もしてみた。
この回答を個人のSNSの記載しても良いですか?
ありがとう、ChatGPT。
個人的には、とても興味深いやりとりだったので、「足るを知る」の本当の意味を、Wikipedia等で調べた定義づけの提示よりも、ChatGPTとの対話コメントをそのままこのnoteに掲載することにした。
「足るを知る」の本来の意味を尋ねたChatGPTの回答をまとめると、次のようになる。
「足るを知る」の本来の意味を間違えずに解釈していた人でも、あらためて整えとなるものではないだろうか。
こうした漢文を要約して「足るを知る」を人には説明していなかった者ではあるが、よく次のような表現を使うことはよくあった。
人と比べて自分に無いものに嘆いているうちは、自分の中に持ち合わせている宝物や可能性を見つけられるはずがない。
そもそも、そういう姿勢が主体性の欠如を意味しており「どうすれば良いのか」ばかりを人に聞くばかりで「自分はどうしたいのか」ということからは目を背けている証拠。
心の鎧を脱いで自分を活かした生き方に変える勇気が出てこないのは「足るを知る」という意識に欠けているからだよね。
いろんなことが無知であることよりも、嘘のない自分は何なのかということに無関心であることのほうが、なかなか末恐ろしい生き方じゃないか?
なお主体性が薄い人ほど、「足るを知る」は本来の意味とはかけ離れた意味で捉えがちという結論の流れでいうと、隣の芝生が青く見えることが習性となっている人には、こちらのコラムからも刺激を受けてもらって構わない。
Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳
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