資格取得は何のためだろう?
今でも覚えている教官の言葉
18歳の夏に通った自動車教習所の教官が、学科授業の初日に伝えてくれた言葉を今でも覚えている。
その言葉に触れるまで、何のために免許を取るのかは、確かに自分のことだけしか考えていなかった。
ディープ・パープルの曲をガンガン流し、ご機嫌な風を感じながら、自由に好きな所にクルマで行くために、自分にも早く免許が欲しい…それしか考えていなかった。
運転免許証は、街を行き交う人や他のクルマの「未来」を奪わないための人としての資格証なんだね。
法律の捉え方
さまざまな法律についても、運転資格と同じように、違法でなければ、なんでも良いというのは、とても寂しい発想なのかもしれない。
数年前に、この国の建築のあり方を整えようとする防災設計に携わる建築家からお聴きした言葉も、とても象徴的だ。
「建築基準法さえ守れば良いという建築設計業界に平然と蔓延している常識に、大いに疑問を感じている。」
つまり、建築基準法が「最高基準」となってしまいがちであるために、日本の建物の寿命は非常に短いという現状を招いていることを憂いている。
防災設計に関しても、建築申請をしやすくすることに奔走するばかりで、建った後の利用者が、本当に煙に巻き込まれぬように避難できるかどうか…何を大切にした設計となっているかも疑問だったりする。
そもそも、いろんな法律は、「誰のため」にあるのか。
教習所の教官が投げかけてきた言葉と同様、「資格と法律」がある目的とは何かを考えさせられる。
あたりまえのことだが、資格保有者のためではない。
その資格を持つ者の先の人の暮らしのために「法律」がある。
そもそも…誰のため?
「そんな社会全体のことを、個人が投げかけても仕方ないことだろう」と言う人もいる。
いいや、仕方ないことではない。
とても身近なことで考えてみると…なぜ人は、さまざまな資格検定試験を受けるのだろう?
就職に有利となる
資格がないと職務に就けない
難関突破がやりがい
それが目的になってしまっていないだろうか?
自分のことしか頭にないのが、やはり世間一般の実態なんじゃないかな?
一方で…
この手の話は、自分にしかできない価値を、どこにいるどういう人に提供したいのかという「主体性」がある人なら、釈迦に説法な話だ。
そういう人は、資格取得の目的は、自分が幸せにしたいと願う顧客(マーケット層)に向けたものであり、資格はその手段に過ぎないことを理解しているからね。
もちろん、自分も顧客も安心できる技能を取得するための資格取得もある。
ただし、顧客の未来をどう築いていきたいのかという自分だからこそ実現できる価値づくりの「主体性」がないと…自分はどう生きてきたいのかという「主体性」を持つ顧客からの支持は得られない。
今の世知辛いご時世では、「自分のため」か「勤め先」のために資格取得を目指しているのが大半であるなら、幸せな社会形成なんて、到底無理な話だということになるよね。
「でも、あなたの言うそんなことは…キレイゴトでしょ?」
そのように揶揄されても、おかげさまで、ボクには「キレイゴトで上等!」という仲間がたくさんいる。
キャリアデザインとは…
先日、ボクがお仕事に関わる方が、資格検定の一級試験に何度が挑んでいるのだが、試験当日は、つい見落としがあったり、ナーバスになって実力が発揮できないと胸の内を明かした。
でも、試験直前に背中を押すコメントは、とてもシンプルなものだった。
日頃、彼自身の顧客に対する姿勢そのものを、ボクは理解していたからだ。
「試験問題に出されているものが『自分の日頃のご依頼主の事案』と思えば良いんじゃないかな?…自分のために合格せねばと思わなくてイイ。」
資格取得による自分の立ち位置を再確認し、彼はすぐに目を見開いた。
日々の業務を遂行する傍ら、早朝から深夜まで、自身が納得できるまで準備してきたこともあり、あとは、人事を尽くして天命を待つのみである。
基本、そういう姿勢がある人に、自然と顧客は「だからこの人に仕事を任せたい」と感じるんだよね…実際、現時点の二級資格保有の段階でも、しっかりと顧客には支持されている。
つまり、極論を言うと、心豊かな価値を創る人というのは、自然とマーケットが評価するようになっている。
(もちろん、資格を否定するものではない。)
…と、言うわけで…
自分のフィールドにおいて、関係業法や取得資格の「目的」を、いま一度、それぞれが考え抜いてみても良いんじゃないかな?
「キャリアデザイン」っていうのは…
そういうことだと思っている。
法や資格の捉え方も間違えると、もちろん、頑張り方も間違えるよね。
とにかく、「職探しに有利になるから資格取得を頑張る」というのは、誰をどう幸せにする価値づくりに勤しみたいのかという「主体性」を見失っているため、顧客よりも職場に評価されることに必死となる働きとなってしまうんだ。
そして、いつの時代も子供達がそうした「大人としての資質」を見ている。
多くの大人達が、頑張り方を間違えているため、多くの子供達が「オトナになって働くということは、辛いことを我慢して上司からお金をもらうこと」というイメージを持ってしまうんだ。
Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合義徳
#勝ち組より価値組
#子供達の意識を変えたければまずは我々大人から
#自分にウソをついて生きたくないロック思考
#キレイゴト上等
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