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次世代まで及ぼす「しわ寄せ」

「価格」より「価値」に目を向けないのは、経済のあり方としては大変危険なこと。「価値」の見極めることをしない経済と社会は、近いうちに必ず「しわ寄せ」を産む。

その「しわ寄せ」が頻繁に表れてくるのが、事業活動に必要な原価や費用…いわゆる「コスト」に対しての意識だ。

■そもそもコストとは何か

顧客に認められる価値づくりの本質において、自社では実現できない部分を担ってもらうために、仕入先や仕事依頼先に対して発生するコスト。

つまり、コストとは本来…「価値を高めるために必要な要素」ということになる。

そのため、お客様にどのような幸せを提供したいのかという事業目的に向けて、価値づくり・共創に本質的な相互理解があれば…依頼を受けた側にも、根本的な業務改善や品質向上に向けた画期的な提案意欲も出てくる。

ところが…「あなたの同業は、他にもいくらでもいる」とチラつかせて、忖度したほうが良いよと言わんばかりに、初めから明らかに値引きの圧力を示してくる場合がある。

「高いクオリティは求めたまま、価格を下げてくれ…それに応えるのが企業努力だ」と頭ごなしに押し付けてくるケースだ。

 

■結局は悪循環

そう言われた側は「交換価値」程度のクオリティにまで下げるしかない場合でも、「使用価値(本質的価値)」も付加して納品しないといけない。

そこに、もはや「適正価格」などという概念は存在せず、圧力的な概念しかない。
それでは、仕入先や業務委託先とは、安定的で良質な取引関係も築けない。
そして、いずれは「価格」だけではなく、納品される「価値」は下がる傾向にある。

また、皮肉にも…そうした発注元の組織体質ほど、顧客満足度も低く、競争力も低下しているが明白。
それでも、この手のやりとりは後を絶たず、これが「しわ」をつくる根本的原因になることが多い。


■しわ寄せの構造の根幹

この「とにかくコストカット」という企業が持つエゴによって、必ずどこかに「しわ寄せ」が及ぶ。
それが、下請け企業や仕入れ先の孫請け企業が存在していると、そちらにも「しわ寄せ」が行く。

そして「体質」とは怖いもので…いずれは外部だけでなく、従業員に対しても価値づくりに必要な仲間意識ではなくなり、コストカットの対象になる…これも「しわ寄せ」だ。

さらに、結果的には製品やサービスを活用してきた一般生活者に「品質低下」としての「しわ寄せ」にもつながる可能性は高い。
それを示す通り、過去どれだけの上場会社が、安全基準不正や、隠匿が発覚してきたか…。それでも残念なことに、これにブレーキが掛かる様相すら感じない。

 

■ヒエラルキー体質の弊害

この「しわ寄せ」がなくならない構造はどこにあるのか…その構造の根幹には、企業でも教育現場のどこにでも根深く蔓延る「ヒエラルキー文化」だ。
ピラミッド型の階層・身分制度の「暗黙の空気感」なんだよね。

だから…「お宅に仕事を廻してやっているんだから」という、事実上の自分の身分が上であることを誇示する姑息な手段に出る。
そんな手段に出る体質の人に限って、目上の人に対しては、忖度することこそが企業戦士の美学と、手の平を返した態度になる。 

自信をもって価値を提案をしても、「どれだけ良いものであっても、物事には相場というものがあるだろう」となり、誰でも造れる価値(コモディティ化されていくもの)と同列にされるのは、納品する側のモチベーションを維持することのほうが困難だ。

もちろん、価値を提供する側にもコモディティ化にならないイノベーションを起こす姿勢は求められる。
いずれにしても、この「同調圧力」的な空気を産んでしまう「ヒエラルキー文化」の最大の問題点は、「しわ」を作ってしまうことだ。


■しわ寄せは次世代に波及

この「しわ寄せ」って、どこに行くか、みんな気づいていないのかな?
先ほども述べたように、最終的には、一般生活者の暮らしに及んでくる。
実はそれだけではなく…次世代の子供達にその「しわ寄せ」が行っているということだ。

このことは、どれくらいの人が気づいているんだろう?
いや、気づいてはいるけれど、ヒエラルキー文化の中では、依存と迎合が生まれやすいため、見て見ぬフリをするしかないのが実態だったりするんだ。

むしろ、ココに対して疑問を投げかける・議を唱えると…「反体制派」というだけではなく「反社会派」とまでのレッテルが貼られたりもする。

 

■こうした結果が招くもの

ボクが数年前、多くの小中学生の前で、「働くって何だろう?」というワークショップの運営を担った際、大変驚いたことがある。
子供達に「大人に成って働くっていう事に対して、どんなイメージを持っている?」と聴いた時の返答だ。

「辛いことを我慢してお金をもらうことが大人が働くということ」

その場にいた全ての子供が、この回答だったんだよね。
子供達は、オトナの嘘を見抜く天才・感じたままピュアに表現する人達。
会場の後ろにいた保護者の全員が、まさに自分の姿を言われてしまっていると、苦笑いだったことも象徴的だった。

すでに「価値」よりも「価格」を重んじる意識が生む「しわ寄せ」が、彼ら次世代の心に擦り込まれているということだ。


■今の自分にできること

ボクらは「しわ寄せが起きない経済」を、今の時代から作っていかないといけない。
そのためにも、ボク(弊社)が関与するお仕事先では、理不尽な価格交渉は丁重にお断りする文化を形成している。

執拗に価格交渉が厳しい時は、追及してくる先に「クオリティを下げるだけのことです」と返すのみ。
ボクの周りの個人事業主で、小さくともイノベーションを起こしている人は、「相見積もりはお断り」という、毅然とした姿勢も随分出てきている。

もちろん、自社にしかできない価値づくりに自信がないと、この対応はできない。
いわゆる「圧倒的なプロダクト力」は求められる。
カタチや規模はともかく…結局は、小さくともイノベーションを起こしていくしかないんだよね。
本質的な価値創りのあり方を追求するしかない。

だからボクは、価格競争に巻き込まれない体質改善・組織文化の形成を仕事を続けている。次世代に「しわ寄せ」をつくらないようにするためだ。


■根本は民度を上げること

そして、「しわ寄せが起きない経済」にするには、実はそろそろ一般生活者の自律ある消費…民度が上がっていかないといけないとも感じている。 

もちろん、労働者でもある自分達が、企業からの「しわ寄せ」を喰らっている可能性が高いことは先に述べた通りなんだけれど…ボクら一般生活者が、知らず知らずのうちに、街の経済の中で「しわ寄せ」を造ってしまっている可能性も高いということだ。

オフィス街で、200円代の幕の内弁当が売られているって…食のあり方を考えたら、やはり普通じゃないよね。
他よりもとにかく安く!というだけの消費者のマインドは、凄く怖い事だ。
その結果、中に入っている食材は、解凍野菜だったり添加物だらけだったりして、旬な野菜を新鮮なうちに食べてという豊かさも失う。

それに、「こちらはカネを払ってるんだ、もっと満足させろ」という日頃のストレスを発散させるような接待を伴う夜の飲食店でのやり取りなんか目にすると、その場が一気にしらけるんだよね。

大量生産・大量消費・大量廃棄…この文化形成を担ってしまっているのが、我々一般生活者であることをしっかり認識しないといけないんだ。


■同調圧力よりも同調活力へ

少年スポーツで「勝利至上主義」を後押ししてしまっているのは、絶対権力を持つ恐怖政治体制を敷く指導者ではなく、そういう人達を崇拝して支持する多くの保護者であることも、そろそろ認識しないといけない。

スポーツ本来の「楽しむ」の一切がなくなり「結果こそ全て」「チームのために」で個が犠牲となることを美徳とする「同調圧力」…これは、人としての実質的な価値を育んでいるのではなく、チームの表面上の格だけを上げているだけのこと。

それなのに「社会に出たらそういうものだから今のうちに味わっておけ」くらいのことしか親御さんも思っていないケースもある。
そして、その中で育っていく人が、また「しわ寄せ」の構造を産むんだ。

そろそろ気づこうよ。
いや、気づいているのに変わろうとしないことの方が、もっと罪深い。
結局、その「しわ寄せ」は、自分達の子供や孫に還ってくるんだよね。

ボクらは、そろそろ…
正しい規律の「同調圧力」より
楽しい自律の「同調活力」の空気

コレを作ってもイイんじゃないかな。

こういうことを綴ると必ず言われるんだ。
「それでもそんなのキレイゴトでしょ?」ってね…。

何度でも言うよ。
ボクらは「キレイゴト上等!」だと思っている。
自分にウソをついて生きたくないロック思考なんでね…。

Backstage,Inc.
河合 義徳

#キレイゴト上等
#自分にウソをついて生きたくないロック思考
#勝ち組より価値組
#ロックな仕事観


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