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価値づくりのポリシー

ボクは、ロックの多くを語れるほどの者ではない。
音楽業界の人間でもないし、関連本や雑誌を読み漁ってロックの知識が豊富なわけではない。

でも、一日何時間もギターを弾きまくって、レンタルレコード屋だけでは物足りず、輸入レコードやインディーズのレコードで、自分が好きなロックに出逢おうと躍起になっていた時期は確かにある。

ライブハウスのステージに出るようになり、スタジオに入って独りよがりな演奏ではなく、来場者に喜ばれないとチケットが売れない当然の構図も体感している。

そうした中、中途半端ながらの学生時代の超短期間「ロック」な時期を過ごしたことは、今の会社を起業運営する上で、「結局は、こういうのが自分のロックなんだよな。」と揺るぎないものになっていったのも事実。

それを綴っておくことにした。

万人受けするはずがない

ボクらが創ろうとする価値は、ある人にはかけがえのないものにもなると嬉しい。
その一方で、ある人にはゴミくず同然となるのは仕方がない。

それでいいんじゃないかな。
万人に絶賛される価値など、ボクらがつくれるとも思っていない。

それを、事あるごとに「キレイゴトで上等!生き方がロックなんで…」という表現を使っている。

満足よりも納得したいんだ

「ロック」の核心は、まず「嘘のない自分であり続けたい」というところが起点な気がするんだ。

何かのシステムの枠に収まっているだけだったり、特定の人達によって恣意的に造られた常識のレールに乗っていることには、常に違和感がある。

中には、もちろん心地いいものもある。
しかし、気づかぬうちに人のコントロールされているだけだったなんてこともたくさんあった。
そうやって、「ステルス的」に支配されることには、嫌悪感すら感じることもある。

それに…

嘘のない自分であり続けると、自分達の満足を高めるということより、納得を掘り下げたくなるんだよね。

納得できるところまで辿り着いてみたい。

ボクらには成功がない

自ら価値づくりに挑んでいること・やってきたことが、「成功」と言われていたり、自分達が創った価値が世間での常識のような万人受けとなったら…

それはもう「ロック」ではない可能性もある。

そんなところで満足しているようなら、創り上げていった価値は大衆化(コモディティ化)していくことになっている。
それで満足してしまうと、情報操作をしている絶対権力者達の満足と、大して変わらなくなってしまう。

きっと、自分達の想い描く境地に辿り着いたら、ボクらはきっとその先を見たくなるはずなんだ。

自分にウソをつきたくない

ボクらは、特に「成長し続けたい」という気負いがあるわけでもない。

それでも…納得できるところを掘り下げることを辞めてしまう自分に嫌悪感があるんだろうな。

とにかく、喜んでもらいたい人達を誤魔化したくないし、自分にウソをつきたくないんだ。

だから、失敗を恐れずに挑み続けるんだろうね。
過去の成功体験を自慢し始めたり、成功したことの悦に浸るようになっていたら、もはや老害の始まり。

だからボクらは、未だ見ぬ先へ進み続けようか。

そんなことを2000年頃にノートに綴っていた。

ロックアーティストの言葉

実はそう綴っていたのは、好きなロックアーティストの言葉の引用組み合わせというか、コラージュした感じなので、言葉にオリジナリティはない。

それでも、気づけば『仕事への向き合い方のポリシー』にはなって、今でも変わらずにその姿勢でいる。

これによって、これまで何度も「メンドクサイ人」というレッテルは貼られてきたんだけれど、それでもこのポリシーのおかげで随分と仲間もできた。

もちろん、ボクらが考える「ロック」が、正解かどうかはワカラナイ。
それでも、人と比べられる相対的な優劣にも関心がない。
ボクらが納得できる「絶対的なもの」に辿り着きたいだけだからだ。

まあ…人に嫌悪感を与えない程度で、クスッと笑われる感じが…ボクらもちょうど心地いいんだろうな…。

『ロックの核心は反体制、反権力だ。成功した俺にもうロックは歌えない。聴衆を誰一人ごまかしたくない。こんなはずじゃなかった。成功したから俺は死ぬ。』

Kurt Cobain(NIRVANA)

『音楽なんてものは、ある人にはクズ、ある人にはゴールド。それでいいんだ。』

Edward Van Halen(VAN HALEN)

Backstage,Inc.
河合 義徳


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