(仮)マッチングアプリ 1. 希子
「なんて小さい男だろう」
先月別れた涼介のことだ。希子はため息をついて目の前のストローの袋をクシャッと潰した。
別れ話を持ちかけた途端に勝手に自分で勝手に予約していた旅行のキャンセル代を請求してきたのだ。しかも、私が彼の部屋に置いてきた荷物は全て処分したと連絡が来た。ほとんど俺が買った物だからいいだろ、と。
確かにほとんど彼と一緒に買いに行ったものだが、エプロンは学生時代から使ってる物で上京した時に亡くなった母がくれたものだ。それを知っていたはずなのに捨てるなんて…。
「だからレクサス乗ってる男なんてろくなもんじゃないって言ったじゃないですか」
黙って私の愚痴を聞いていた三木君がそう言った。三木君は前職の弁護士事務所で後輩だった男の子で、弁護士の卵だ。卵と言っても司法試験には一度失敗しており、毎日仕事帰りと土日は希子の現在の職場である書店併設型のカフェに勉強に来ている。
希子も大学院を卒業し、かつては弁護士を目指していたが志半ばで諦めた。前職で貯めた貯金が300万円程あったので、結婚するまではこれで十分と思って、前職の半分くらいの給料のカフェに転職したが、結婚どころかその相手とも別れ、気付けば貯金も残り半分を切ってきた
「決めた!マッチングアプリやってみる!」
前々から興味があったTinderをインストールしている私を、三木君が呆れた顔で見ている。
「そんなの絶対まともな男なんていませんよ。どうせ言ってもやめないでしょうから好きにすればいいですけど。」
そういう訳で、晴れて(?)マッチングアプリをインストールした私は期間限定で5人の男に会ってみることにしてみた。
1人目の男は会社経営者の男だった。メッセージのやりとりまでは良かったが会った瞬間に自分の恋愛遍歴や自慢話を一方的に始め、話が終わったかと思ったら「じゃあ行こうか」と手を握ってホテルに誘ってきた。どこで行けると思ったのか知らないが、手を振りほどいた瞬間ビックリした表情をしていたので、これで落とした女が過去にいるのだろう、その事実にこちらが驚きだった。
2人目はもっと酷かった。もつ鍋屋さんを予約してくれたのだが、ひどく無愛想な男で、ひたすら黙って鍋をつつくことになった。無口のくせになぜ初対面で鍋をチョイスしたのかも謎であった。1時間ほどで食べ終え、店先で別れたのだが、すぐにアプリの方へ「この後もう1軒行かない?」とメッセージが来たので呆れてマッチを解除した。
◆
ここまでの有様を鷹宮はニコニコしながら聞いてくれた。鷹宮とは同じくアプリで知り合ったが、早々に彼女と同棲していることをカミングアウトしたので希子の中では対象外としていた。ただ、今回マッチした中では顔が比較的タイプだったし、尚且つ話が面白かった。
鷹宮は希子の2つ年上で35歳とのことだった。35歳にしては、肌艶が良く、いわゆる若者顔のため、見ようによっては希子より下に見えなくもなかった。あるいは人事で採用担当をしていると言っていたので、学生受けを狙っているのかもしれない。笑うと目尻に笑い皺が寄るので、そのあたりは年相応にも見えた。
新宿南口のカフェで30分ほど時間を潰すついでに会ったが、人事ということもあってか、聞き上手な男でついつい話込んでしまった。
「ちょっと遠回りして帰らない?」と言われたので、イルミネーションに照らされたサザンテラスを歩き、タカシマヤから代々木方面へ進むと人通りの少ない遊歩道に出た。
「へぇ、新宿にもこんなところあるのね」と私が呟くと「とっておきの場所なんだ。新宿っぽくないでしょ?」と鷹宮が言った。気障な男だと思ったが、悪い気はしなかったので、初めてアプリで知り合った男とLINEを交換した。
◆
そこからほぼ毎日のように高宮とメッセージのやりとりをした(彼の本名は高宮孝一だった)
高宮の同棲中の彼女はひどく神経質で寝室が誰かと一緒だと眠れないらしく、また潔癖症でもあるので、生活スペースはほとんど分かれていると言っていた。
「漫画のNANAとか、ちょっと古いけどキムタクが出ていたロンバケの間取りあるでしょ?あんな感じの家なんだ」
猫を2匹飼っていて、猫だけはお互いの部屋を行き来できるそうだ。私が猫好きということもあってか猫の写真は彼から頻繁に送られてきた。(スコティッシュホールドとサバトラの猫でどちらもとても可愛かった)
彼の写真を見ると一人住まいにも見えなくなかったが、色々と事情があるのだろう。
◆
11月の終わりに高宮から上野美術館のゴッホ展に誘われた。希子もちょうど見たいと思っており、一人で行こうかと迷っていたところだったので二つ返事でOKした。
最初のデートに美術館に誘ってくる男なんて生まれて初めてだった。
上野御徒町で待ち合わせて、老舗のインドカレー屋で昼食をとって、蓮がすっかり枯れてしまった不忍池を通って美術館に向かった。
先日のサザンテラスでも思ったが、彼の隣を歩くのはとても楽しかった。私は比較的身長が高いのでヒールを履くと175㎝くらいになってしまうので、男性と会う時は遠慮してヒールの低い靴を履くことが多かったが、高宮は180以上あるので気兼ねなく好きなファッションで会うことができた。また、高宮はとても誉め上手で会うたび自分のファッションやヘアスタイルを褒めてくれるので、いつも良い気分させられた。
「なんで私を誘ったの?彼女を誘えば良かったのに」と彼に聞いてみたが、少し困った顔をして「ゴッホは日本で見たくないらしいよ。それになんとなくだけど、希子はゴッホ好きそうな気がしたからさ」と答えた。
高宮の彼女は、大学で講師をしていると聞いた。きっと仕事などで海外にもよく行くのだろう。
美術館でゴッホを見るのは5年ぶりだったが、とても良かった。今回の展示はゴッホの最大の個人収集家であるヘレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションが展示されたので、代表作から初期の、まだ画家として駆け出しのゴッホ作品を見ることができた。
希子は絵を見るふりをして、高宮の表情も見ていた。特に、アルル時代の療養所の作品(ゴッホが精神を患い入院していた病院だ)を熱心に見ていたので、どこが良かったのか聞いてみた。
「俺もあまり絵がわかる訳じゃないんだけど、ゴッホは駆け出しの頃はまだ構図も定まってない感じがして粗削りなところがいいんだけど、晩年のゴッホは本当に色彩の感覚とかが凄いなって。でも、絵の凄みが増せば増すほど、精神を患っていくのが皮肉だなって」
私が思っていた感覚に概ね近かった。男性とそんな風に絵について話す経験は初めてだったので、高宮という人物への興味が深まった時間だった。
私が上野っぽいところで飲んでみたいと言ったので、高架下のザ・大衆酒場のようなところへ連れて行ってくれた。人で溢れかえった店内では店員の威勢のいい声が飛び交い、私がどぎまぎしていると、高宮が慣れた様子でエスコートしてくれた。彼はよく来ているらしく、私が食べたことがないおすすめのメニューを沢山教えてくれた。
それにしても不思議な男だと思った。先刻まで美術館で真剣な表情で絵を見ていたと思えば、今は隣で冗談ばかりを言っている。同世代の男にはない魅力を高宮には感じた。おそらくこれまで色んな女と寝てきたのだろう。そんなことを思いながら高宮を眺めていると少し酔いが回ってきたのがわかった。
まだ帰りたくなかったので、もう1軒誘うと、彼はすぐに2軒目の店を見つけてくれた。こういうところも気が利いていると思った。なんというか店選びなどがスマートで余裕がある。
2軒目は先程とはうって変わって、オーセンティックな雰囲気のBARだった。地下にある暗がりの店でバーテンが子気味よくカクテルを作ってくれるのでついつい飲みすぎてしまい、店を出る頃には、高宮の支えがないと上手く歩けないほど酔っていた。
ホテルに誘われるかなと少し期待していた。ただ、タイミング悪く、前日に生理になっていたので、どう断ろうか考えていたが高宮は心配して駅まで送ると言ってくれた。
紳士的な男だと思ったが、もしかしたら自分には魅力がないのかも…とも少し心配になったので、地上に上がるバーの階段で酔いに任せて高宮の首に手を回してみた。一瞬体が強張ったようにも思えたが、すぐにキスを返してきてくれた。
なるほど。慣れた男だと思った。
◆
4人目の男にも会ってみたが、どうしても先日の高宮とのデートと比べてしまい、食事に集中することができなかった。
上野のデート後も、高宮とは毎日のようにメッセージのやりとりをしている。電話もたまにくれるようになった。他の男は食事の約束を取り付けるとぱったりメッセージのやり取りがなくなるが、高宮にはそれがない。
気が付けば、高宮から毎朝くるLINEが楽しみになり、ついスマホの通知を見る癖がついてしまった。
4人目の男は、メーカー勤務でどちらかと言うと草食系に見えた。食事中もYouTubeやInstagramの話がメインで、なんとなくだが、普段は若い女の子とばかり会ってるんだろうな、という気がした。もちろん、高宮のように絵画や小説の話をされても普通の女性なら退屈な男と思うだろう。今の若い女の子にはこのメーカー男の方がウケが良さそうだ。そんな事を考えながら、心ここにあらずで彼の話を聞いていた。それでも帰り際やはりホテルに誘われた。もうお約束みたいなものだ。
「そういうつもりじゃないよ」と伝えると、だったらTinderの紹介文を変えるべきだと言われてしまった。あれじゃ誰でもできると思っちゃうよ、と。
5人目には会わずにTinderはやめるつもりだったが、そんなに変だったのかなと思って、アプリを消す前に三木君に聞いてみた。
「その人が正論だと思いますよ。だって”エッチしたいかどうかはとりあえず会ってから考えます”って書いてあるじゃないですか。なんでこんなこと書いちゃったんですか?」
「だって三木君がTinderは"そういう目的"の男ばかりだって言うから、ちゃんと書いておいた方がいいかなと思って」
「希子さんそういう変なところありますよね…。じゃあ会った男はみんなスケベ目的だったんじゃないですか?」
そうね、一人を除いて…。と、希子は三木に高宮の話をした。初めて会った時から上野でのデート、自分が知っている高宮のパーソナルデータなど。
きっといつもみたいに呆れて苦笑いしてるだろうなと思って三木の表情を見たが、なんだか彼にしては珍しく真剣な表情で私の話を聞いていた。
「こんな人なんだけど、三木君どう思う?」と聞くと、三木は言うべきかどうしようか迷っているという表情になった。
彼の一言は意外なものだった。
「希子さん、本当にその人の話信じてます?どう考えても怪しいですよ。その男」
(「2.鷹宮」へ続く)
https://note.com/rock_de_nasii/n/nffa20b8d588c