親父のクラウン
カローラ、アリオンとトヨタの大衆車を乗り継いだ親父が最後に選んだ車がクラウンだった。
都職員だった親父は、バブルの真っ只中に埼玉の郊外に一戸建ての自宅を買い、以来贅沢というものをしているところを見たことがなかった。
畑仕事が趣味で、いつも母親がしまむらで買ってくる服を着ていたし、腕時計もずいぶん前の誕生日に家族でプレゼントしたG-SHOCKを何度も電池交換をして大事に使い続けるような父親だ。
愛知県出身だったので、トヨタを贔屓にしていたが、乗る車は私が小さい頃からカローラで、それもいつもオンボロになるまで乗り継いでいた。
私の周りの友人の家はぴかぴかのランドクルーザーやBMWに乗っているお父さんもいたので、なんだか自分の父親をみすぼらしく感じた時もあった。
うちは貧乏だと母親に言われて育ったので幼心になんとなくそうなのかと思って生きてきたが、今思えば小さい頃からお金に不自由したことはなかった。やりたいことはなるべくやらせてもらったし、お金を言い訳にされたこともなかった。大学の時分には一人暮らしをさせてもらっていたし、親父が定年を迎える年には、しっかりと自宅の住宅ローンを返し終えていた(後で聞いたらバブル期に買ったので随分な金額だった)
妹が大学を卒業した年に親父が車を買い換えた。てっきりまたカローラかプリウスあたりにするだろうと思っていたら、クラウンアスリートを新車で買うと言うので、とても驚いた。母親は、畑しか行かないのにそんな車買ってどうするの!と怒ってあきれていた。
私はなんだか嬉しかった。親父は生まれてからずっと父親という存在だったが、初めて親父のオトコっぽさを見たような気がした。
当時の彼女とドライブに行くときは、わざわざ埼玉の実家に帰り、親父に頼んで車を借りた。トランクをあけると、畑仕事に使う長靴やスコップなんかが入っていて相変わらずなのだが、今までワックス掛けすらろくにしたことがない親父だったが、クラウンはいつ見ても真っ白でぴかぴかだった。
・
母親ががんで亡くなり、葬儀を終えてしばらくして実家に帰った時に、親父に車を売ってきてほしいと頼まれた。母さんの通院に使っていたが、もう母さんもいないし、畑には自転車でも行けるし、俺はインターネットのことはよくわからないから、お前に頼みたいというので、快く引き受けることにした。
綺麗に乗っていたとはいえ、15年落ちのクラウンがいい金額で売れることもなく、ほとんどタダみたいな金額で引き取られた。
本当の金額を言うとガッカリしそうだったので、私が15万円ほど都合をつけ、親父に金額の入った封筒を渡すと、今日はこの金でうなぎでも取るから泊っていけというので、久しぶりに旨いうなぎを食べながら、買ってきた日本酒を親父と飲んだ。
まだ、免許返上しなくてもいいんじゃないか?と聞いたが、池袋の暴走老人のニュースを見て、いつか自分もそんな風になるんじゃないかと怖くなったそうだ。それに今は宅配でもなんでもあるし、車がなくてもそこまで困らないと言った。
しかし、あのクラウンがうなぎになって帰ってくるのもなんだか不思議なもんだな、と笑っていた。
なんであの時クラウンを買ったのか聞いてみたら、最後に乗る車だけはクラウンにしようとずっと前から決めていたと言った。
それに、お前がガールフレンドとドライブに行くのに、オンボロのカローラやレンタカーじゃ格好付かないだろと言うので、クラウンだってそんなにデート向きの車じゃないぜ?と笑って返した。
真面目な親父とそんな話をするのは初めてだったので、なんだかおかしかった。
私が最後に乗る車はなんだろうか。
その時は少し冒険してもいいかもしれない。
親父と酒を酌み交わしながら、そんなことを思った。